千日前道具屋筋商店街

街の商店街がシャッター通りと化し、次々と消えていく今日。大阪にはまだまだ活気のある商店街が存在します。千日前道具屋筋商店街もその一つ。浪速の食文化の発展に大きく貢献し、今もにぎわいが絶えない理由とは。

千日前道具屋筋商店街

【大阪府大阪市中央区難波千日前5-19河原センタービル内5F 
(千日前道具屋筋商店街振興組合)
http://www.doguyasuji.or.jp/
プロ用の厨房機器や周辺器材の専門店が軒を並べる商店街。昔も今も大阪の食文化に寄り添い、共に発展してきた。通りを往復すると、飲食店を営むのに必要なものが一通りはそろうのが魅力。「道具の日」にあたる10月9日には毎年「道具屋筋祭り」を開催。体験や実演、掘り出し市を行っている。

食の道具であふれる通り

ちょうちんや看板を扱う専門店(写真上)。一般の人がインテリアにと買っていくこともあるそう。お店のディスプレイもどこかで見たことのあるものばかりです。

大阪ミナミは、個性的豊かな店や人が集う日本有数の繁華街として知られ、連日観光客でにぎわうエリア。その中心にあるのが千日前道具屋筋商店街です。周辺には商店街が多く、戎橋筋商店街や黒門市場商店街からも近い場所にあります。

喧噪の中に赤字で「道」と書いた大きな看板が見えたらそこが入口。南北に通る全長150mのアーケードの下には、約60店舗がひしめき合うように建ち並んでいます。「西の道具屋筋、東の合羽橋」とも言われるように、プロの厨房道具がなんでもそろうのが道具屋筋の特徴。業務用のタコ焼き器、皿に漆器、包丁、ちょうちんにのれん、ひょうたん型の小さな型抜きや超大型のずんどう鍋まで、どの店にも食にまつわる商品が所せましと置かれています。素人にはその一つ一つが物めずらしく新鮮に映り、まるでアミューズメントパークのよう。つい足を止めてしまうのでなかなか前に進みません。

見ているだけでも興奮

食品サンプルの店「デザインポケット大阪本店」では、本物と見まがう食べ物がディスプレイされています。

道具屋筋らしい一軒といえば、まず北入口すぐにある「デザインポケット大阪本店」。こちらは食品サンプルの専門店です。こんもりと泡立ったビールジョッキや、美しい渦巻きのソフトクリームは本物さながら。作り物とわかってはいても、おいしそうと見入ってしまいます。何気なくビールジョッキの値札に目をやって少々びっくり。1つ5000円から6000円台の価格は決してお手頃とは言えませんが、作業にかかる手間と職人技でしか生み出せないアートと考えると、安いものなのかもしれません。お土産として人気を集めているのは食品サンプルのキーホルダー。エビやマグロの握りずしをデザインしたものは、外国人観光客も興味津々の様子です。

通りを行った先にある「一文字厨器」は包丁の専門店。食材ごとの専用包丁など、大小あらゆる種類が整然と並ぶショーケースは圧巻です。料理人にとって相棒である包丁は、末永く大事に使いたいもの。こちらの店では刃の研ぎや柄の取り替えといったアフターフォローも万全で信頼を得ています。店頭には重厚な日本刀がディスプレイされていて観光スポットにもなっています。

大阪の食文化が色濃く反映されているのが「タケウチ」。こちらはお好み焼き器など大阪人がこよなく愛する“粉もん”のアイテムに特化した店です。カウンターや流し台は使い勝手を考え、オーダーメイドにも応えてくれるそうです。


一般客もウェルカム

茶碗や皿、スプーンも圧倒されるほどの種類。道具屋筋は品ぞろえの豊富さが何よりの魅力です。プロが使う鍋は強力なガス火にも負けない丈夫な仕様。厚みがありやや重さはあるものの家庭でも好んで使う人が多いそうです。

プロとの付き合いが主な商店街ですが、もちろん一般客も買い物を楽しむことができます。家庭でも気軽に使える掘り出し物を見つけるのも道具屋筋をそぞろ歩く醍醐味です。食器やグラスなどはまとまった数がそろうので、ホームパーティー用にまとめ買いしたいときには便利。ばら売りにも応え、たとえば箸置きなど小さなものも気兼ねなく1個から買えます。店の隅っこには1枚100円ほどの皿や椀といった特価品が無造作に置いてあることも。宝探し気分でお気に入りの品を探すのも一興です。

また、鍋やフライパンは長く使える品質の良いものに出合えるチャンス。プロ用の調理器具は一般に販売されているものとは異なり、耐久性に優れたものが多く、使い勝手や利便性を追求した工夫が細部に施されています。眺めているだけではわかりませんが、店員さんに尋ねてみると「なるほど!」と商品のすばらしさに気づかされたり、家庭での手入れの仕方なども丁寧に教えてもらったり。なんでもインターネットですぐに手に入る時代になりましたが、ここでは心の通った対面販売がまだ大切にされていて、その温かさをしみじみ感じることができます。

道具屋筋の歴史

ホームセンターなどに押されて街中ではなかなか見かけなくなった金物店も健在です。

千日前道具屋筋商店街の起こりは1882年(明治15年)。法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや今宮戎神社への参道沿いに、古道具屋や雑貨商が軒を連ねたことが始まりです。大正になると古道具屋は道具屋へと移り変わっていき、最初は少なかった店数もいつの間にか20軒に増えていました。

1935年(昭和10年)になると周辺に飲食店が多いという地の利を活かした商売に転向。飲食店の道具を売ることに特化した専門店へと変わり始め、ミナミの街と共に急成長していきます。ところが太平洋戦争が始まり人々の生活が苦しくなると、道具屋筋の商売も危機的状況に。1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼け野原になってしまい、バラックを建て再建へと奮起しました。生活が落ち着き、得意先が戻り始めたことから道具屋筋も復活。バラック建てだった通りに店舗が整い、1960年(昭和35年)に本格的に商店街として再スタートしました。1970年(昭和45年)の大阪万博の開催と時を同じくして、アーケードを建設。現在の姿となっています。


顧客に信頼される理由

お話をうかがった和田厨房道具の社長・和田憲二さん。道具を売るだけでなく修理に走ることもあるそう。

今はなかなか物が売れない時代と言われています。それに加え、安さを売りにするディスカウント店やインターネットでショッピングする人も多くなり、街中の小さな商店はますまず生き残りが難しくなってきました。道具屋筋もこうした時代のあおりを受け、対面販売は年々減っているそうです。それでも3代、4代と商いを続けている店が多く、勢いが衰えないのにはいくつか理由があります。その一因を千日前道具屋筋商店街振興組合事務局長の田部誠さんは次のように話します。

「このあたりは大阪でも特に飲食店が集中している地域。道具屋筋には昔ながらの付き合いで変わらず道具を卸している店が多いんです。ほとんどの店が道頓堀あたりの老舗の料理屋や大手お好み焼き店を贔屓筋として持っていて、新店を出すとなったら従業員のユニフォームから看板、つまようじの注文まで丸ごと請け負っているところもありますよ」。

ひと昔前まではどの店にも番頭さんと呼ばれる今でいうところの営業部長のような人がいて、あらゆる飲食店とのやりとりの中で培ったノウハウを新規出店する人にアドバイスしていたこともありました。アドバイスの中身は店のレイアウトに関することから材料の仕入れ先まで及んだとか。こうした人材も、道具屋筋の信用を高める大きな要素になったと言えます。

「食に関する道具で道具屋筋に置いていないもんはないので、自分の店にない商品も他の店から調達して得意先に届けたりするんですよ。こうして店同士で支え合ってきたのも大きいでしょう。プロ相手の売り上げが今も7~8割ほどを占めているために、このご時世でも安定した商売ができています。一般客だけを相手にしていたら続けられへんでしょうなぁ」。

老舗に見る道具屋筋の商売

道具屋筋の売れ筋商品と言えばたこ焼き器。業務用から家庭用までサイズの多彩さに驚き。粉もんを焼くときに欠かせない油引。長短のバリエーションがあるのもニーズの多い道具屋筋ならでは。

道具屋筋に店を構え70年になる「和田厨房道具」は、商店街の発展を見守り、長年に渡り大阪の飲食店を支えてきた一軒です。社長の和田憲二さんに商売の昔と今について尋ねてみました。

――昔から今の商売を?
うちはもともと家具屋でした。戦後になってから古道具を扱うようになり、現在の厨房道具をメインとした商売に落ち着きました。取り扱っているもんは昔から大きく変わることはなくて、鍋やら鉄板焼き器やら基本的には同じ。でも時代ごとのお客さんのニーズに合わせて少しずつは変わってきているもんもあるかなぁと思います。

――売れ筋商品は何ですか?
道具屋筋の店にはそれぞれに強みがあって、うちやったらたこ焼き器の種類が豊富。月に30台から50台くらいはコンスタントに業務用のものが売れるよ。あとは粉を混ぜるのに必要な大きな泡立てとか粉つぎとか、焼くのに必要な備品も売れるかな。特殊な道具は専門店でないとなかなかそろわへんからね。

――昔と今とでは売れるものは変わってきましたか?
昔は大きなずんどう鍋とか、一からちゃんと料理するときに使う道具が売れてたけど、今は調理の仕方がどんどん短縮されてきてるからね。家族で切り盛りしているような小さな食堂なんかは、魚も切り身を買ってきてそこから調理したりするところがあるみたいやし。そうなると良い包丁もいらんよね。最近は道具にこだわるような職人さんがめっきり少なくなった印象やね。職人さんが減ったから使うのにテクニックがいるような道具よりも、誰でも使いこなせるもんがよく売れるようになったかな。ここ数年は外国人観光客が店をのぞいてくれることも増えたけど、そういった人たちは、包丁や鉄瓶といった昔日本人がよく買っていた道具を求めていることが多いね。必ずメイド・イン・ジャパンのものか尋ねて買っていくのはおもしろいよ。

大阪人にはなじみの深いいか焼き器。地元より地方からの注文がけっこう入るとか。

――専門店らしいちょっと変わった商品はありますか?
うちならではのもんと言えばいか焼き器。阪神百貨店の地下に入っている有名店が使っているメーカーのものをうちも取り扱っています。あと今年の夏は台湾カキ氷専用の機械がよく出たね。年末に向けては餅つきの杵と石臼も入ってくるかな。道具屋筋を訪れたら、季節ごとの食の道具を見て回るのもおもしろいんとちゃうかな。


独特な店の造りを活用

奥行きがあり広い店内。上階へのエスカレーターもあります。

道具屋筋の中で一番店舗面積が大きいと言われているのが総合厨房設備の「千田」。なんと地下1階から地上3階まであり、エスカレーターまで備えています。こうした大型店は商店街の中でもめずらしく、一般的な店の構造は基本的にどこも同じでちょっと特殊。京都の町屋のように奥行きがあり、一番前が店舗、次が事務所兼倉庫、一番奥が品出しの場所と空間が3つに区切られています。商売がしやすいように考えられた造りで、お客さんが求める商品を置いていないときは、こっそりと裏から近所の店に走って「あんたんとこは置いてへんか」と聞いて回ることもできたとか。

ところが今は宅配業者任せで品出しする必要がなくなったために、奥のスペースを持て余すように。遊ばせているのももったいないと、一部を貸店舗にするところが次々と出てきました。そこへ飲食店が進出し、いつしか商店街の裏手は飲み屋が並ぶように。こうして「ウラなんば」の愛称で親しまれる話題の新スポットが生まれました。日が落ちるころには灯りがともり、仕事帰りのサラリーマンや若者たちでにぎわっています。

変化する道具屋筋の商い

なつかしい綿あめ器を発見。昭和を感じさせるアイテムですが、地域の祭りでは今も重宝される名品です。包丁の専門店は外国人観光客に人気。用途に合わせて数えきれないほどのアイテムが並んでいます。

ウラなんばの活気にみられるように、これまで昔気質に仕事を続けてきた道具屋筋も、静かに変化の時を迎えていると田部さんは言います。

「跡取り問題を抱えているところも多く、小さい店はいつまでやっていけるやらという心配があります。アーケードの下にも飲食店が続々と出店していて、数年後には今とは印象がガラリと変わってしまうこともあるかもしれない。それでも顧客第一にできるだけ長く商いをしていくには、モノ消費からコト消費に移っていくことが理想かなと思います。心斎橋や戎橋界隈は1日35万人が行き交い、そのほとんどが外国人観光客です。道具屋筋では食品サンプルづくりなど特別な体験ができる店があるので、こうしたスポットをもっと増やしてコト消費ができるメニューを強化し、より観光客を呼び込むことができればと考えています」

周辺の商店街はいち早くインバウンドに力を注ぎ、利益は軒並みV字の伸び。道具屋筋も例にならい、生き残りをかけた新たな挑戦が始まります。

(2017年9月 取材・文 岸本 恭児)