森奈良漬店

深みのあるべっ甲色に染まった奈良漬は奈良県発祥の伝統食。口に運ぶと芳醇な酒粕の風味が広がります。訪れたのは東大寺南大門前。古くから神聖なこの場所に店を構え、変わらぬ味を守り続ける奈良漬店があります。

森奈良漬店

奈良県奈良市春日野町23 0742-26-2063 
https://www.naraduke.co.jp/
明治2年(1869年)の創業当時は南大門と大仏殿中門の真ん中ほどに店を構えていた老舗(現在地は昭和17年から)。初代からの教えに忠実に職人技を貫き、数ある奈良漬専門店の中でも徹底して“昔ながら”にこだわる一軒。契約栽培や直接栽培により丁寧に育てた野菜や果実を、素材に適した酒粕と天然塩を使って手仕込みする。砂糖や甘味料、添加物などを一切使用せず、気候風土に寄り添いながら磨いた味は、酒精分の利いたふくよかさが魅力。

歴史が育んだ古都の味

長年お客さんたちを迎えてきた看板。今では貴重な春日杉の一枚板が使われています。文字には金箔が貼られていたとか。

歴史ロマンが香る古都・奈良。若草山や奈良公園など豊かな自然が残り、流麗な姿の神社仏閣と共存し合って美しい街並みを形成しています。都として栄えたころは大陸との親交が深く、日本文化の礎を築いてきました。日本人の食の進化にも大きく貢献。その歩みの中で生まれたのが奈良漬です。瓜などの野菜を塩漬けにし、酒粕に幾度も漬け替え熟成させた風味豊かで滋味深い味の漬物。いにしえより人々を夢中にさせ、今では奈良土産の大定番となりました。

奈良にはいくつもの奈良漬店がありますが、今回訪れたのは東大寺に最も近い場所に店を構える森奈良漬店。初代から譲り受けた技と味を守り抜くこと140年以上。屋根の上に掲げられた春日杉一枚板の看板はすっかり文字が霞み、長い足跡を刻んでいます。

奈良漬の源流

こっくりと褐色に漬かった瓜。酒のアテとしてはもちろん炊き立てのごはんのお供にもぴったり。

奈良漬について最も古い記録をひも解いてみると、たどり着くのは約1300年前の奈良時代。長屋王邸跡に眠っていた木簡には、粕漬けした瓜についての記述があります。当時はどぶろくに沈殿したドロッとしたものに塩漬けした野菜を漬けていたようです。また平安時代の宮廷文化を記した『延喜式』にも、瓜やなすなどを粕漬けしていたと残されています。これらの記録から、奈良漬は酒が貴重だった時代に誕生し、上流階級に好まれる保存食として広がっていったと考えられています。

室町時代に入ると奈良市で清酒造りが行われはじめ、副産物として生まれた酒粕に塩漬けした野菜を漬け込むようになります。これが現在の奈良漬の原形となりました。江戸時代には一般に販売を開始。庶民の間にも広がりをみせ、瓜だけでなくすいかやきゅうりなどさまざまな味が出回るようになります。またこのころから東大寺を参拝する人たちの土産としても人気を博していました。

初代からの味へのこだわり

倉庫の中には味を熟成させるために寝かせた奈良漬の四斗樽がずらり。ざっと4000丁ほどはあるそう。

ひと口に奈良漬と言っても素材の選び方や調味の塩梅、漬け方は店ごとに異なります。森奈良漬店では昔から手仕込みが基本。味付けに使うのは酒粕と天然塩のみときわめてシンプルです。丹精を込めた逸品は酒精が利き、まろやかな塩味とうま味が見事に調和しています。

「うちでは天然塩と酒粕が醸し出す自然のうま味成分を素材に浸透させるやり方を踏襲してきました。酒粕だけでうま味を出すには大変な苦労があります。でも、砂糖や水あめなどの甘味に頼って手軽にうま味を演出してしまうと、うちが昔から大事にしてきた味が歪んでしまう。奈良漬は手間という職人技と暇という時間がつくるもんやと思てます」と話すのは森奈良漬店の四代目である森茂さん。脈々と受け継がれた味への思いを頑なに貫いてきました。


オリジナルの「すもも」

すもも転がしは程よい力加減が難しい作業です。作業場にはゴロゴロとリズミカルな音が響きます。すもも転がしを終えると、表面に付いた傷から少しずつ水分が滲んできました。まるで実が汗をかいているよう。

森奈良漬店では四季ごとに実る野菜や果実を収穫し、年中漬け込みの作業が行われています。「今、ちょうどすももの奈良漬づくりが始まったところなんですよ。珍しいので見ていきませんか」。森さんの計らいで特別に製造工程を見学させてもらえることになりました。作業場は店から車で10分足らず。住宅街の中にあります。

すももの奈良漬は創業当時からあるオリジナルの味の一つ。初代が東大寺のお坊さんから漬け方のアドバイスを受けて商品になったものです。 「酒は飲めないお坊さんたちでも、いろんなものを食べたいという欲求があり、自分たちでも漬けていたんでしょう。その中でこれはうまいということで、初代に教えてくれたんやないかと思うんです」。

奈良漬に使うすももは熟す前の青い実が適しています。初々しい酸味が酒粕の風味と合わさって味わいはさわやか。シャキシャキとしたフレッシュな食感も心地良く、後を引くおいしさです。

鮮度を保つ塩漬け作業

重石をして数日で樽にはたっぷりの水が。すべてすももから出た水分だというから驚きです。すももの漬け上がり(画像下)。1年経つと果実らしい酸味は穏やかになり、酒粕のうま味がしっかりとなじんできます。

作業場に着くと、すももがたっぷり入った樽がさっそく目に飛び込んできました。この日の午前中に収穫したばかりの実は、梅よりもひと回りほど大きく肉厚。艶やかで見た目にもみずみずしさが伝わってきます。樽のそばでは職人の皆さんが手袋をはめて何やらゴロゴロ。

「これはすもも転がしという大事な工程の一つ。たらいに岩塩を敷き、その上に取ってきたすももを乗せて手で転がすんです。こうすることで表面に細かな傷が付き、塩漬けしたときに塩が入っていきやすくなります」。すももの皮は薄いため、力をかけ過ぎるとはがれてしまうことも。手のひらに神経を集中させながら慎重に作業を進めていきます。

すもも転がしが終わると樽に入れ、塩をたっぷりと加えて塩漬けの下漬けを行います。このとき使う塩は精製塩ではなく、赤穂の天然塩でなければいけません。天然塩に含まれるにがりなどの成分が素材に影響を与え、まろやかな味わいと歯切れの良さを生んでくれます。塩漬けの下漬けに使うのはこの塩のみ。1滴の水も加えなくても徐々にすももが水分を吐き出し、3~4日ほどで樽の中には実がタプタプと泳ぐほど水が溜まります。この状態になると塩漬けの本漬けへと移ります。改めて新しい塩をし直し、重石を乗せて寝かせること約2~3ヵ月。樽の中で静かに酒粕に漬け込む時を待ちます。


上等な酒粕は不向き

今年仕込んだばかりの酒粕(手前)と去年仕込んだ酒粕(奥)。酒粕は生きていて、酵母の働きで色が変化していきます。

塩漬けを終えると次は酒粕で漬け込んでいく工程へと進みます。塩漬け後の野菜はたっぷりと塩気を含んでいるので脱塩が必要。酒粕に漬けることで徐々に塩分は抜け、同時に酒粕の持つうま味がすももに移っていきます。こうして何度か漬け替えを繰り返し、時間をかけて脱塩を行いながら、少しずつ味を整えていくのです。

酒粕は奈良漬をまろみのある味と芳醇な香りに育ててくれる大切な材料。長年ひいきにしている奈良と和歌山にある8つの酒蔵から仕入れています。さぞかし上等な酒粕を選んでいるのだろうと思いきや、実際はまったくの逆だというから驚き。

「純米大吟醸や吟醸は酒の味が主張しすぎて、奈良漬けにするときに独特の酸味や華やかな香りが邪魔になります。純米酒かごく一般的な本醸造の酒の酒粕が一番合うんですよ」。

味と香りを決める土用粕

酒粕をタンクの中で踏み込んでいる様子。板粕やバラ粕をちぎっては踏む作業を1つのタンクで20回ほど続けます。

仕込みに使うのは冬場に日本酒を仕込む過程で出る板粕やバラ粕。けれどもそのままというわけにはいきません。奈良漬用の酒粕にするため重要なひと手間を加えます。

倉庫にそびえるのは直径2m、高さ2mの大きなタンク。その中へ板粕とバラ粕を投入し、作業を行う人も3人ほどタンクの中へ。まずは酒粕を手で細かくばらしていきます。ばらし終わったらつま先に力を入れて酒粕を足で踏み込み、念入りに空気を抜いて二次発酵を促します。この踏み込みの作業を何度も繰り返し、タンクの中でゆっくりと熟成。土用(7月20日)まで寝かせておくと、奈良漬づくりに欠かせない「踏み込み粕(土用粕)」が出来上がります。

土用過ぎの踏み込み粕はまだ熟成が浅く、見た目にも白っぽいのが特徴です。通常の漬け込みに使う酒粕はさらに2~3ヵ月ほど寝かせ、味噌のような黄味を帯びた色になると完全に熟成した合図です。

味と香りを決める土用粕

ひょうたんは花がぽろっと落ちたころが収穫時。大きく成長する手前の5㎝程度のものを使います。

森奈良漬店の奈良漬は他店と比べるとバリエーションが豊富で食べ飽きないことも人気の秘訣と言えるでしょう。現在は瓜、すいか、なす、しょうがなど全部で11種類あり、変わったところでは先に紹介したすもものほかにセロリもあります。

奈良漬はただやみくもに漬ければいいというわけではなく、やはり適した素材があります。選ぶ基準はまずでんぷん質を多く含んでいないこと。また繊維質で酒粕の芳香に負けない強い香りも備えていなければなりません。酒粕は漬け込む素材ごとに使い分け、何種類かを練り合わせて漬種(つけくさ)をつくります。こうすることで素材の持ち味を引き出し、時を重ねて色、味、香りに個性が表れてくるのです。

「実は夏場に向かって漬ける奈良漬と冬場に向かって漬ける奈良漬では酒粕の量や配合も変えているんですよ」。素材を慈しむ細やかな仕事が伝統の味を支えています。


夏限定の初々しい味

瓜は2つに割って種の部分を取り除き、腹に塩を詰め込んで塩漬け。樽の中に隙間なく並べます。

熟成しきっていない「新粕」を生かして手早く漬ける奈良漬もあります。それが新漬瓜。毎年7月20日過ぎから8月いっぱいまでのごく短い期間だけ楽しむことができる季節の限定品です。新漬瓜はこっくりと漬かった一般的な奈良漬の瓜とは見た目も味もまったく別物。ほんのりと緑を残す淡い彩りとさっぱりとした味わい、シャキッとした歯ごたえに初々しさが漂います。

「新漬瓜はもともとうちがお供え用につくっていたもの。昔からお盆にご先祖様をお迎えするときのために、その年に育った瓜を使い今年踏み込んだばかりの新粕で漬け込んでいたんです。それが今では夏場だけの商品として広く親しんでいただけるようになりました」。

あえて未熟なもの同士を掛け合わせた旬の味。ガラスの器に盛りつければ涼やかな珍味になり、夏の暑さを吹き飛ばしてくれます。

県産素材への熱い思い

小しょうがはピリッとした刺激がクセになる味。奈良の特産品である蚊帳生地に包み、丁寧に漬け込みます。森さんが長年試行錯誤を重ねた大和三尺(画像下)。店を代表する味へと成長しました。

歴史ある奈良漬づくりも時代の流れとともに変化の波が押し寄せています。昔は県内で栽培された奈良漬専用の野菜が使われていましたが、次第に栽培する農家が減少。国内産の野菜は価格が高騰したり収穫量が安定しないこともあり、インドネシアや中国などの輸入品に頼るところが増えました。

しかし森さんはその流れをよしとはしません。「奈良漬は奈良で生まれた食べ物。やはり奈良で育った野菜を使うのが一番おいしい」という持論に従い、信頼のおける契約農家に栽培を委託。多少値が張ってもできる限り県内産の野菜にこだわります。また、奈良伝統の野菜にも思いを寄せてきました。しょうがの奈良漬には辛味が強く筋のない奈良在来の小しょうがを採用。さらに新たな味を求め、目を付けたのが大和三尺と呼ばれるきゅうりです。

漬物用として戦前までは奈良県内でごく普通に栽培されていた品種でしたが、40~50㎝ほどの長さまで育つことから流通に向かないこと、収穫量が少なくまっすぐ成長させることも難しいなどの理由から、いつしかほとんど栽培されなくなっていました。けれども、大和三尺ならではの緻密な果肉と歯切れの良さこそ奈良漬に好適なはずとひらめいた森さん。手に入れた種を自ら畑にまくところから始め、数年かけて復活栽培に成功。漬け込み方をあれこれ探り、7年の歳月を費やしてようやく商品化にこぎつけました。今では大和野菜にも認定され、ブランド野菜の仲間入りを果たした大和三尺。森さんの地道な努力が大きく実を結んでいます。

発酵食品ブームが続く中、奈良漬の未来は明るいと見通している森さん。「時代の流れに乗り、今後は世界にも奈良漬の魅力を広げていけたら」と、ひそかな野望も語ってくれました。

【コラム】奈良漬はなぜ茶色い?

奈良漬は瓜もきゅうりも一様に茶色いのが特徴的ですが、この色は健康と美容に密接にかかわっています。茶色の成分の正体はメラノイジン。抗酸化作用を持ち、動脈硬化の予防にも力を発揮してくれると言われています。さらに細胞を若々しく保ち、腸の調子を整えてくれる効果も期待できるとか。ただし奈良漬はアルコール分を含む食品。酒に弱い人は食べすぎに注意が必要です。適量を日々の食事に取り入れ、健やかな体づくりの一助にしてはいかがでしょうか。

(2017年6月 取材・文 岸本 恭児)