出石皿そば

今年も新そばのシーズンが到来。鼻から抜ける初々しい香りとつるっとしたのど越しは絶品です。関西屈指のそばどころである兵庫県豊岡市出石町でも、この時期ならではの味を求めて、全国からそば好きたちが集まります。

関西のご当地そばといえば

出石の中心地。昔ながらの風情が香る街並みは、まるで時が止まったようでノスタルジック。

「東のそば、西のうどん」と言われるように、地域によって好みが分かれる日本の麺文化。大阪の街を歩いてみると、うどん屋の看板はよく見かけますが、そば屋はそれほど多くありません。薄口しょうゆと出汁の風味、小麦粉で作った「粉もん」をこよなく愛する関西人。そばよりうどんのほうがしっくりくるという人が多いのもうなずけます。そばにとっては完全にアウェーな関西にも、唯一そばどころとして全国的にも有名な地域があります。それが兵庫県豊岡市出石町です。

但馬の小京都とも呼ばれ、昔ながらの風情を残している出石町。兵庫県の北部に位置し、ミシュラン・グリーンガイドでも人気の観光地に選ばれた城崎温泉と隣接しています。街のシンボルとして鎮座するのは、さまざまな歴史的ドラマとも深くかかわってきた出石城(現在は城跡)。その眼下には、ゆったりとした時の流れを感じさせる落ち着いた街並みが広がります。ここを訪れる人たちにとって一番のお目当ては、ご当地名物の「出石皿そば」。観光の中心地に皿そばを提供する店が45軒も集中し、そば屋の密集度としては日本一。店ごとに異なる味を食べ歩くのも楽しみの一つです。

食べ方に娯楽性をプラス

大食いにチャレンジし、ミッションをクリアできた人にだけ渡される通行手形。旅の記念にもなります。

出石皿そばは素朴なそばを単に味わうだけではありません。見せ方や食べ方にエンターテインメント性を盛り込み、独自のスタイルを作り上げてきました。他のご当地そばと大きく違うのは提供の仕方。そば1人前が5つの白地の小皿に分けて盛られています。

1皿あたりの量はだいたいひと口かふた口程度。食べ終えると次の皿、また次の皿へと自然と手が伸び、女性でも5皿はあっという間に完食してしまいます。物足りないときはお腹の具合と相談しながら一皿ずつ追加ができ、食べ終わった皿を高く重ねていくのも一興。また、店によっては大食いにチャレンジすることもでき、制限時間内に指定した枚数を食べ切ったり、一定の枚数以上を完食できれば手作りの通行手形がもらえる楽しみも。好奇心をくすぐるサービスが観光客から評判を得て、リピーターを増やすことにつながっています。


バラエティ豊かな食べ方

『湖月堂 内堀店』の店主であり、出石皿そば共同組合の理事も務める石田伊久雄さん。出石そばの地産地消化に取り組んでいます。出石皿そばならではの薬味といえば、とろろと鶏卵。『湖月堂 内堀店』では鶏卵を温泉卵にして提供。そばとよく絡みます。

そばは鮮度が命と言われています。出石皿そばも、挽きたて、打ちたて、ゆがきたての“三たて”で伝統的なおいしさを守ってきました。人気の一軒である『湖月堂・内堀店』では、その日提供するそばはその日の朝に店主である石田伊久雄さんが仕込みます。注文を受けてからさっとゆで、冷水できゅっと締めたそばはコシがあり風味豊か。のど越しの良さからつい箸が進みます。 

出石皿そばは薬味の種類の多さも魅力。1人前を注文すると、お馴染みのネギ、わさびに加えたっぷりのとろろと、店によってはやや小さめの鶏卵が1個付いてくるのです。食べ方は人それぞれ。特に決まったルールはありませんが、出石皿そば協同組合の理事も務める石田さんに、薬味を思う存分楽しめるおすすめの食べ方を教えてもらいました。「まず1皿目はそばつゆだけで。2皿目はネギとわさびを加えます。3皿目は鶏卵を割り入れ、4皿目になるととろろも一緒に入れて召し上がってください。すべての薬味を最初に全部入れてしまわれるお客様もいらっしゃいますが、できれば味に段階を付け、5皿それぞれをバラエティ豊かに味わうのが出石皿そばの醍醐味です」。

そばちょこがなかった昔は、小皿に薬味を乗せそばつゆを直接かける、いわゆる「ぶっかけ」にして食べていたこともあったそうです。

【コラム】二八そばと十割そばの違い

そば屋に行くとメニューや看板に「二八」「十割」という言葉が目に留まることがあります。これはそば粉の配合を表したもの。「十割」はそば粉のみで作られたそばのことで、「二八」はそば粉八の割合に対し、つなぎとしての小麦粉を二の割合で混ぜたことを示しています。出石にあるほとんどのそば屋で出されているのは「二八そば」です。「二八そば」は細めでつるっとしたのど越しと弾力があるのが特徴。一方「十割そば」は「二八そば」に比べるとややざらっとした舌触りで、噛むたびに滋味あふれる香りが広がります。なお、そば粉十に対して小麦粉二の割合で打った「外二八」(または外二)と呼ばれるそばもあり、配合の割合によって味や風味、食感の個性はさまざま。そば屋で出合う機会があれば、食べ比べてみるのもおすすめです。

味の脇役「そばつゆ」の今昔

そばはあっという間に伸びてしまうもの。「出石皿そばもゆでたてをすぐに食べてください」と石田さん。

そばを食べるとき、薬味と共に必ず添えられているのがそばつゆです。そば同様、そばつゆにも店ごとに育てた独自の味があり、使う材料や製法も千差万別。一般的にはしょうゆやみりん、砂糖を煮て「返し」を作り、かつおぶしやこんぶ、干ししいたけなどから取った「出汁」を合わせて完成させます。『湖月堂・内堀店』では作ったそばつゆを2週間寝かせ、味を馴染ませる工夫をしています。馴染んだ後は角が取れてうま味が倍増。まろやかさが感じられるそばつゆに仕上がります。

今のように芳醇な味わいのそばつゆは、昔からあったわけではありません。しょうゆが高級品だった時代は、辛味のある大根の汁に味噌やたまり醤油を加えたものを合わせて食べていました。しょうゆを用いたそばつゆの製法は、1751年発刊のそば専門書『蕎麦全書』に記されています。しょうゆに酒と水を加えて弱火でじっくりと煮詰め、好みによってよく枯れたかつおぶしで取った出汁を加えることもありました。材料や作り方から見ても間違いなく今のそばつゆの原型と言えるでしょう。

しかしそばつゆはあくまでも脇役。そばの香りや味わいをじゃませず引き立てるのが役割で、少々控えめなほうが良いとされています。


出石皿そばの定義

白磁の小皿やそばちょこ、徳利はすべて出石焼。各店で店名などが入ったオリジナルのものをそろえています。

出石皿そば協同組合では近年、出石皿そばの定義を明確にし、地元の味を守る取り組みに力を注いでいます。定義は3つあり、まず1つは、先にも紹介した通り白地の小皿に分けて盛ること。地域色を濃くするために磁器は地場産業の出石焼を推奨しています。2つめには、そばを打つときは地元の水を使うこと。そば本来の香りに影響を与えるため、カルキ臭のする水は避けるのがベター。豊かな自然が育んだ水こそそば打ちに欠かせません。3つめは、地元産のそば粉があるシーズンは優先的に使用すること(ない時期は厳選した国産を使用)。

良質なそばの育成には、水はけのよい土地と昼夜の気候に寒暖差があることが求められます。この条件を満たさない出石は、そばの生産には不向きと言われてきました。しかし、地元ではより出石そばのブランド力を高めていきたいという思いが強く、不利な土地でも育ちやすい品種に着目。減反によりそば栽培に移る農家が増えてきたこともあり、出石産のそばが提供できるようになってきました。毎年晩秋に開催される「出石皿そば新そば祭り」では、その年の秋に収穫された新そばが組合加盟店で一斉に解禁となります。天候に左右されやすく台風に弱いそばは、収穫量が安定しないのが弱点。そのうえまだ作付面積も小さいため、わずか1か月ほどで売り切れてしまいますが、希少な季節の味として好評です。

そばで町おこしに成功

店頭にはお土産用の出石そばも売っています。それぞれ味わいが異なるので、家で食べ比べるのも楽しそう。

出石そばの始まりは、出石藩主の松平氏と信州上田藩主の仙石氏がお国替えになった1706年。そのときに信州からやってきた腕の良いそば職人の技が出石のそば打ち技術に加わり、出石そばとして確立されました。のちに出石焼の白地の小皿に盛るスタイルが定着し、出石皿そばと呼ばれるようになります。そばは江戸時代に材料や道具、製造方法、そばつゆの作り方などに改良や工夫を繰り返し、江戸末期にはすでに現在の形に落ち着いていました。将軍や大名たちの中にはそば好きが多く、1日2食だった当時は間食として好まれていたそう。水戸黄門でお馴染みの徳川光圀公もその一人でした。そばの特産地としてすでに名を馳せていた信州からわざわざそばの種を取り寄せて水戸藩内に播かせたり、自分でもそばを打ったりして客人に振る舞っていたようです。

江戸の街ではこのころ、手軽なファストフードとしてうどん人気をしのいでいたそば。一方の出石ではなかなか広がりを見せず、盛り上がってきたのは実は昭和に入ってからのこと。昭和40年代後半、そばで地域活性化を図ろうとご当地名物に掲げたことがきっかけで注目が集まり、観光客数が右肩上がりに急増。それとともにそば屋の軒数も増えてきました。出石はそばを活用した町おこしに成功した数少ない地域でもあるのです。

【コラム】意外?そば屋発祥は大阪

そば文化は関東を中心に発展し確立されていきましたが、日本最古のそば屋を探ってみると、意外なことに大阪にたどり着きます。「更科」「藪」「砂場」と言えば江戸蕎麦の御三家。このなかで最も歴史があるのが「砂場」です。1590年代に豊臣秀吉が大坂城を築城した際、砂や砂利を積んでいた砂場の近くにあった「和泉屋」と「津国屋」の2軒がそばを提供していたことから、利用客らが親しみを込めて通称“砂場”と呼ぶようになりました。大阪市西区にある新町南公園には「本邦麺類店発祥の地」と刻まれた石碑が立っています。その砂場が1751年に江戸に渡り「大和屋大坂砂場そば」の屋号で開店。その後、次々と新しい店舗ができたことで関東にそば屋が広がっていきました。


優秀なそばの栄養素

皿そばは1人前5皿が一般的。香りが高くのど越しが良いので、つい食べ過ぎてしまいます。

そばは栄養の宝庫。良質なタンパク質を中心に、ビタミンや食物繊維、ミネラル、ポリフェノールの一種であるルチンなど、健康増進に不可欠な栄養素をバランスよく豊富に含んでいます。食べることで胃腸の働きを活発にし、気力や精神をも養ってくれることから、修行中の僧侶もそば粉を水に溶かして口にしていました。また、白米を基本とした食生活を送っていた江戸の上流階級で、ビタミン不足が原因で脚気が流行っていたとき、そばを口にすると症状が解消されたとも伝わっています。一部には、そばを食べるとアレルギー症状を引き起こす人もいて、小さな子どもに与えるときなどは注意が必要ですが、美と健康を目指す人にとってはまさにスーパーフード。麺類でお腹を満たすなら、うどんやパスタよりもそばを選びたいところです。

白濁したそば湯のパワー

そばを食べ終わったころに出てくるそば湯。そば湯は提供用に、そば粉を湯に溶いて出す場合もあるそうです。

そばを食べた後に供されるそば湯。そば湯はその名の通りそばをゆでた際のゆで汁のことです。残ったそばつゆに加えて飲むとおいしいですが、そのまま口にすると味気なく、白くとろりとした液体になんとなく抵抗がある人もいるかもしれません。でも、そば湯を飲むことにはきちんとした意味があるのです。

そもそもそば湯を飲む習慣は信州に始まったと言われています。一説には、修行中の見習いが空腹を紛らわすためにそば湯を飲んだことに由来するとか。そば湯は胃腸の調子が悪いときに飲むと元気になる、そばを食べた後にこの湯を飲むと病気にならないなどと言われていたようで、うわさが江戸へも伝わり、そば湯を飲む風習が広がったと見られています。そばはゆでることによって、タンパク質など身体に良い栄養素の一部が湯の中に溶けてしまうと考えられています。そのため、そば湯を飲まずに捨ててしまっては、取り入れられるそばのパワーも半減。湯に移った香りやうま味も楽しめるので、ぜひ口にしたいところです。ただし、余ったそばつゆにそば湯をさして飲む場合は塩分の摂りすぎに要注意。濃度を加減しながら、そばの栄養素を余すことなくいただきましょう。

【コラム】そばと縁起の関係

そばは暦や人生の節目に縁起を担いで食べる習慣があります。よく知られているのは、引っ越したときに近所と付き合いを深める「引っ越しそば」と、新年の始まりを祝い除夜の鐘を聞いてから食べる「年越しそば」でしょう。始まりはどちらも江戸時代。そばの細く長い形状にあやかって、引っ越しそばは近隣との末長い縁を、年越しそばは長寿など多くの願いが込められています。他にも「縁結びそば」「願掛けそば」「節句・端午そば」といった地域や家庭ごとに伝わる風習は多数残っています。このように、日本人にとってそばは長く暮らしに寄り添ってきた親しみ深い食べ物なのです。

(2016年9月 取材・文 岸本 恭児)