鷹取醤油

まろやかな味わいと芳醇な香り、艶やかな色が特徴の和の調味料・醤油。澄んだ空気の中で生まれる手作りの味を求めて、訪ねた先は岡山県の醸造元。そこではお客さん思いの作り手たちが、まっすぐに醤油づくりと向き合っていました。

鷹取醤油

岡山県備前市香登本887 0869-66-9033
http://takatori-shoyu.co.jp
明治38年創業。醤油製造販売・醤油加工製造販売を行う。愛醸感謝をモットーに、安全でおいしい醤油づくりを心がける。清らかな水と質の良い原材料を使い、コツコツと丁寧に醸造した醤油は、昔から変わらない味と品質を誇る。近年は、醤油以外の加工食品の研究にも力を注ぎ、ウェブ販売などでシェアを拡大。全国へこだわり抜いた商品を届けている。

鎖国時代も特別扱いの調味料

父親の代まで使っていたという醤油づくりの道具。木桶には作り手の歴史が刻まれています。

「ソイソース」の名で海外のスーパーや飲食店でも目にする醤油。日本食ブームの火付け役であり、今や世界中の人々に愛されている調味料です。しょうゆはすでに江戸時代から海外に輸出され、鎖国の時代でも唯一貿易を許されていました。そのルーツは中国で古くから伝わる醤(ジャン)にあると言われています。醤は野菜や魚、穀物などの食物を塩漬けしたもの。長期保存ができ重宝されていました。醤には数種類あり、なかでも小麦・米・大豆を原材料に作った「穀醤」が現在の醤油の起源とされています。その味が日本に広がったのは鎌倉時代に入ってからのこと。宗に修行に出た信州の禅僧が径山寺(きんざんじ)みその製法を学び伝えたところ、底にたまった液体のおいしさに驚き、それがたまり醤油となったとか。偶然の産物が進化を遂げ、日本人が誇る現在の醤油になったのです。

原木商から醤油屋へ

温かで親しみやすい人柄から社員や地域の人々に慕われている鷹取醤油4代目の鷹取宏尚社長。

日本における醤油メーカーは現在約1,500社を数えます。家族経営で行っている小規模な醸造元も多く、地域ごとにずっと親しまれてきた味が存在するのが醤油の特徴とも言えるでしょう。岡山県備前市にも地元の人に長年愛されてきた小さな醸造元があります。瀬戸内海と緑豊かな山々に囲まれ、焼き物のまちとして古くから発展してきたこの地に、鷹取醤油が誕生したのは1905年。今年で創業111年目を迎えました。旧山陽道に建つ醤油蔵は、昔ながらの風情が香る地域のシンボルです。「かつては宿場から宿場をつなぐちょっとした休憩地として、このあたりも商店が並んでにぎやかやったようです。醤油蔵も多くて最盛期だった大正時代は大小合わせると10軒ほどありました。それが徐々になくなってしもうて、今はうちだけですね」と話すのは、鷹取醤油4代目の鷹取宏尚社長です。鷹取醤油がある香登(かがと)地区周辺では、昔は醤油の原材料となる大豆と小麦の栽培が盛んでした。近くの山からは清らかで軟らかな口当たりの伏流水に恵まれ、大きな塩田から採取される良質な塩に事欠かなかったことも、醤油づくりの最適地として栄えた要因です。

鷹取醤油は初代・鷹取市平氏が原木商を営む傍らで静かに看板を掲げました。暖簾に記された伏見屋の屋号は、江戸時代から続いてきた原木商より引き継いだものです。小さく始めた商いながら、志は高く「世のため人のため」。商売をさせてもらえるのは周囲の支えがあってこそと、まず一番に地域の人に喜ばれる商品をつくろうという思いをもって先祖代々精進してきたと鷹取さんは言います。


醤油屋の家業を継ぐという責任

蔵には大きなタンクがずらりと並んでいます。じっくりと味を馴染ませ、出荷の時を待ちます。

鷹取さんは信用金庫の元敏腕営業マン。父親から家業を継ぐように言われたことは一度もなかったそうですが、どうしても醤油がつくりたいと実家に帰ってきました。「といっても、昔から醤油づくりに興味があったわけではなかったんよ。きっかけは、営業先でのこんな出来事やったね」。 それは鷹取さんがまだ信用金庫に勤めていたある日。父親から電話がかかってきました。「お前のとこの信用金庫で定期預金をしたいと言ってくれてる人がおるから行って来い」。そう言われて訪ねたのは地元の醤油組合。無事成約となり手続きを進めるそばで、たまたま居合わせたある醤油屋さんが何やらぶつぶつと言い始めたそう。気になって聞き返すと、いよいよその人が声を荒げました。「お前みたいなんがおるから地元の醤油屋がなくなるんじゃ。日本の醤油文化が廃れていくんじゃ!」。最初は何を言っているのか理解ができなかったという鷹取さん。しかしよく耳を傾けてみると、「お前の親父は今安心して醤油屋をできとるんか。どんどん辞める準備をしとるんやないんか」と、鷹取家の行く末を案じての言葉だということが飲み込めてきました。社会に出てからは両親と離れて暮らし、家業のことなど顧みたことがなかった鷹取さん。この人から突然浴びせられた言葉に、頭を殴られたような衝撃が走ったと振り返ります。「もう10年もしたらお前の親父もよう商売をせんようになるんやないかと言われて、初めて現実を考えるようになってね」。結婚してちょうど仕事がおもしろくなってきたころ。そろそろ家でも建てようかというときに、鷹取さんの脳裏からは醤油の二文字が離れなくなりました。

父親の背中に学ぶ商売の姿勢

鷹取醤油で作られている濃口醤油は現在5種類。どれも甘みをきかせているのが特徴です。

時を同じくして、父親が入院する事態に。そこで母親一人では手が及ばない配達を、鷹取さんが手伝うことになりました。そのころの商品は濃口醤油4種類のみ。飲食店や量販店に卸すこともなく、両親2人の商売では地域の人を相手にするのが精一杯でした。「電話で注文を受けたわずかな本数を、軽トラで一軒ずつ家を回って届けるというスタイルを、親父はもう何十年も続けとったんです」。あるとき、90歳のおばあさんの家に醤油を届けた鷹取さんに思わぬ声がかかりました。「『鷹取君、継いでくれたんか。うちは生まれてからあんたのとこの醤油しか食べたことがないんよ。あんたが継いでくれたんなら私はうれしい。お父さんも喜んどるじゃろ』と。そこで、継いでないんよとも言えず。でも、素直にうれしいという思いがこみ上げましたね」。

その後も配達先でお茶やお菓子をごちそうになったりと手厚くもてなされ、改めて父親のやってきた仕事のすばらしさ、鷹取醤油が多くの人から必要とされていることのありがたさを実感します。そこで、傾きかけた家業の立て直しは自分にしかできないと一念発起。29歳で会社に辞表を提出しました。「ところが、それを知ったおふくろは怒って泣き出してしまって。なんで会社を辞めたんや、この商売で食べていけるわけがないと。醤油屋の先細りを両親は肌で感じていたんやと思います」。想像を超える厳しい現実は、家に戻ってほどなく鷹取さんの目の前に突きつけられることとなりました。


うそのない商売をやっていこう

工場横の直売店「燕来庵」には35種類ほどの商品がラインアップ。特産の備前焼にも触れてもらいたいと作家さんの作品も一緒に並んでいます。

鷹取さんの父親は根っからの職人気質。13歳で醤油づくりの道に入り、とにかく質の良い物をつくることだけを求めて走ってきました。反面、数字には無頓着。「今の売り上げでは到底自分の給料は出ない」。帳面を開き、鷹取さんは愕然としたそうです。同時に襲ってきた不安。組織という大きな後ろ盾を失い日々の生活に何の保障もなく、今のお客さんだけでいったいどう醤油屋を切り盛りしていったらいいのか。新しい商品を研究し、出荷数を増やさなければならない。作り手も増員しないと……と、後継者としての責任が肩に重くのしかかります。「最初のころは泣けるくらいしんどかったですよ」。それでも、父親が今まで大事にしてきたお客さんとのかかわりや味へのこだわりは貫くと心に誓い、自分なりのやり方でうそのない商売をやっていこうと夫婦で決めました。「地域に貢献できる会社にしよう、最終的には誰もつくったことのない醤油をつくろうという目標も立てて、どうにかやっていこうと無我夢中やったんです」。

味のクオリティを上げるために

ペットボトルに詰めた商品はその日のうちに出荷。倉庫がすっきりとまとまり、作業がスムーズに進みます。

ゼロから始めた醤油づくりは想像以上に難しく、父親に付いて技術を叩き込み、他の蔵に通い勉強も重ねました。出来上がった商品は毎回分析に出し、味にブレがないかを数字で確認。数字を通してすべての味をマニュアル化することで安定した品質が保てるようになりました。また鮮度も徹底し、業務用で大量納品した商品が数ヵ月経っても客先で余っているとわかると、代金を取らずに回収。「半年を越えると味は少しずつ落ちていく。それはうちの商品ではないんです」。

一方で、衛生面も見直しを図りました。風味を劣化させる雑菌は醤油の敵。仕込みのタンクや醤油を詰める一升瓶は、使う前に徹底した蒸気殺菌が必要でした。しかし、父親のやり方では作業を終えるまでにとんでもない手間と時間がかかります。「朝4時に起きて薪をくべて8時ごろに蒸気が出来上がると管に通して温度を上げる。その間はずっと薪をくべて蒸気を絶やさないようにするのでつきっきり。経費を削りたいがゆえに親父は薪割りまで自分でしよりました。でもよその蔵に行ってみたら設備がきちんと整っていて、ボタンを押せばものの5分で蒸気ができる。まさに目からうろこやったね」。一升瓶も殺菌の手間とストック場所の削減のためペットボトルに変更。父親とは違った目線で取り組んだ味へのこだわりが、商品への信頼につながっていきました。


日々研究創造で新たな味にも挑戦

ロングヒット商品「にんにく醤油」をはじめ、醤油をベースにしたバリエーション豊かな調味料がそろいます。

醤油職人として腕を磨きながら、銀行員時代に培った営業力もいかんなく発揮した鷹取さん。飲食店へと販路を広げ、オーダーがあればドレッシングや麺つゆといったこれまでつくったことのない味にも一生懸命に取り組みました。1つの商品を生み出すまでに数えきれないほどの試作を繰り返し、たとえボツになったとしても、その過程で蓄積されたレシピは鷹取醤油の財産になるというのが鷹取さんの考え方。「おかげさまで、今となっては膨大なレシピをちょっとアレンジすれば、すぐにオーダーどおりの味を提供できるようになりました。これはうちの強みやね」。

新しい味の研究に試行錯誤を重ねるなかで、ロングヒットとなる商品「にんにく醤油」が生まれます。風味の豊かな青森県産の福知ホワイト六片種を使い、あえてすらずに生のまま、無添加の醤油に2ヵ月間漬け込むことで引き出された深いコクと濃厚な香りが特徴。チャーハンやカレーライスの隠し味、から揚げの下味にも使えて重宝すると、お客さんたちの間でたちまち話題となりました。「お客さんの声に応えて、ほしいと思う商品を丁寧に正しくつくることがやっぱり大事やね」と鷹取さん。こうして商品はどんどんと増え、現在では業務用も含めると270アイテムを数えるまでになりました。

「ちょっと甘めでさらり」が岡山の味

直売店「燕来庵」自慢のくつろぎスペース。あまりの居心地の良さに何時間も腰を据えるお客さんもいるそう。2階のキッチンスペースでは、手作りドレッシングの教室を開催し人気を得ています。

地域ごとに味が異なる醤油。食文化の違いや醸造法によって個性が細かく分かれています。日本で生産される醤油の大多数を占めているのが濃口醤油。甘味・塩味・旨みのバランスの取れたふくよかな味わいは万人に受け、和食の奥行きを限りなく広げてくれます。旨みを好む関西ではだしの風味を引き立てる薄口醤油が生まれ、愛知県では琥珀色で独特の風味を持つ白醤油がメジャー。山口県には香りや味が濃厚な甘露醤油があり、九州地方ではしっかりと甘みの強い醤油が一般的です。 岡山県で好まれるのはどんな醤油なのでしょう。「岡山の人は瀬戸内で獲れる淡泊な魚に合う、ほんのり甘くまろやかでさらっとした醤油が好きなんよね」と鷹取さん。伝統的な製法でつくる濃口醤油は現在5種類ありますが、なかでも「桐(きり)」はそんな地元の人の好みに合わせ、旨みと甘みのしっかりとした仕上がり。鷹取醤油を代表する自慢の味です。まろやかさを出すのに欠かせないのが鹿児島県喜界島産の粗糖と兵庫県赤穂産の塩。厳選した素材がタンクの中で静かに調和しながら熟成し、極上の醤油へと育っていくのです。

お客さんに喜んでもらえるのがええ仕事

醤油やポン酢をアイスクリームにアレンジした商品も販売。店頭で購入できるしょうゆソフトクリームは大人気。

「お客さんにうそのない商品にしよう」「徹底して商品を研究しよう」「地域に貢献しよう」「両親や友人は大事にしよう」。鷹取さんはいつもこの言葉を社員一人一人に投げかけています。それは、まっすぐな心にこそクオリティの高い商品を生み出す根っこが宿ると信じているから。人への感謝や人を思いやる気持ちの上に数字がついてくると鷹取さんは言います。 昨年、工場の横にあった古民家を買い取り、直売店と憩いの場を兼ねた「燕来庵」をオープンさせました。燕来庵は、わざわざ醤油を買いに来てくれたお客さんたちがゆっくりくつろぐスペースがなく、心苦しく思っていた鷹取さんの念願。イスやテーブルも設けられ、木のぬくもりを感じる落ち着いた空間になっています。毎日スタッフが心を込めて手作りする試食もたっぷりスタンバイ。鷹取さんは「お茶を飲みながらおしゃべりしたり、オリジナルのしょうゆソフトクリームを食べたり。お客さんが長居してもらえることがうれしいんよ」と笑顔があふれます。 味は素材の良さや値段だけで図るものではなく「どこで買ったか、誰から買ったかを思い出しながら食べるものっておいしい。シチュエーションや人の心が味につながるんやね」。鷹取醤油が愛されてきた理由がこの言葉に詰まっています。

(2016年1月 取材・文 岸本 恭児)