小田垣商店

黒大豆はおめでたい席の料理に欠かすことができない縁起の良い食材。煮豆にするとつやっと輝き、上品でやさしい甘さに思わず笑みがこぼれます。黒大豆の中でもブランド豆として知られる「丹波黒」。産地のプライドが生んだ極上の味を求めて、兵庫県篠山市へ出かけました。

小田垣商店

兵庫県篠山市立町9番地 079-552-0011
http://www.odagaki.co.jp
種苗・農業資材販売店、黒豆・小豆問屋の老舗。享保19年(1735年)鋳物商として創業する。明治元年(1868年)に種苗店へと転業し、黒大豆種子の取り扱いと黒大豆の集荷販売を開始する。昭和13年(1938年)に小田垣商店へ改名。長い歩みの中では農家への栽培技術指導や品種改良にも努めた。昭和53年(1978年)には丹波黒豆のオリジナル規格「飛切」と「飛切極上」を商品化。丹波黒豆枝豆の販売を先駆けるなど、産地の活性化に注力する。

丹波黒の発祥の地・篠山市

伝統の手より作業。熟練した女性社員たちによって確かな品質が守られています。

兵庫県篠山市は丹波篠山とも呼ばれ、見渡す限り田畑が広がる自然豊かな地域。黒大豆「丹波黒」発祥の地としても知られています。丹波黒はその昔、水田の周りの畦に種をまいて育てる畦豆(あぜまめ)として広がったのが始まり。農家の努力が時を重ねて結実し、篠山市は一大産地へと発展を遂げました。

地元で140年以上もの長きにわたり黒豆・小豆問屋の看板を掲げる「小田垣商店」。明治元年から黒豆の種子を販売し、その栽培を支えるとともに、丹波黒をブランド豆へと押し上げた立役者でもあります。丹波黒は「苦労豆」と言われるほど大変に手間がかかる作物。栽培方法も独特で、小田垣商店では栽培試験を繰り返し、生産者たちに技術指導を行っていた時代がありました。また、1990年より発行を続ける栽培技術指導教本「豆だより」には、その年の気候傾向や栽培対策などを記し、情報を提供してきました。同営業販売部部長の山本哲さんは、生産者に寄り添い丹波黒の躍進を見守ってきた一人。「篠山には発祥地ゆえのプライドがあります。農家さんたちの丹波黒にかける並々ならぬ想いがあるからこそ、私たちも毎年自信をもって商品をお客様のもとへ届けることができます」と胸を張ります。

丹波黒ならではの魅力

一面に広がる丹波黒の畑。7月下旬ごろの篠山市を訪れると、すくすくと育つ苗を目にすることができます。

黒大豆は大豆の種類の一つで、黒豆とも言われます。文献をたどっていくと、日本での栽培は平安時代から始まったという説も。戦国時代には黒大豆を原料に作った「兵粮丸(ひょうろうがん)」という薬を武士たちが携帯し、日本人は早くから黒大豆のもつ薬効に注目していたようです。また、水戸黄門が黒大豆でできた納豆を好んで食べていたという言い伝えも残っているほど、古くから親しまれた食材でした。おせち料理の一品として正月に食べられるようになったのは室町時代から。豆の甘みを砂糖代わりに、こんにゃくと炊き合わせたものが起源とされています。江戸時代中期までに確立した食文化は京都の宮中発であることが多く、一説には京都近隣で育った黒大豆が宮中で食べられ、全国へと広がったのではないかという見解もあるようです。

北海道の「光黒」、長野県・北関東・北陸地方の「玉大黒」など、現在日本では30を超える黒大豆の品種や俗称があります。数あるなかでも丹波黒は黒大豆を代表する品種として、真っ先に名前があがる逸品。他の豆と一線を画す優れた特長を備えています。まず一つに、粒が大きく整っていること。丹波黒は他の黒大豆よりおよそ30日も登熟日数が長く、開花後約100日も成長します。そのため、圧倒的に大粒なのが魅力。小田垣商店では素材から厳選したものの中からふるいの網目11mm以上のものを「飛切極上(とびきりごくじょう)」と名付け、人気を博しています。加えて山本さんは、粒の形が球形で見栄えが良く、豆の表面に白い粉を吹くのも丹波黒ならではと教えてくれました。

「他の品種は出荷前に表面を磨いているので黒く光っています。それらと比べると白い粉が汚れに見えたのでしょう。昔は卸先などからくすんでいるとクレームがあって、一時は丹波黒も磨いていたそうなんです。でもこれは汚れではなく表皮を守るためのものなので、結局何日か経つとまた元通り。今ではくすみもブランドを示す大事な証となっています」。煮ても皮がむけず、艶やかで美しい仕上がり。食感はやわらかくもっちりとしていて甘みが強く、皮が薄いために口に残らないことなども、丹波黒が多くの人に好まれてきた理由なのでしょう。


苦労豆と言われる理由

苗床で育て、双葉が出た頃に畑に移植します。

篠山市で丹波黒の作付けが始まるのは6月。直接畑に種をまく直播きと、苗床で育てて二葉が出たころに畑に定植する方法があります。しかし一斉に生えそろうことは難しく、また鳥害も多いので、多くの農家が手間のかかる移植栽培を行います。またこの地域では、できるだけ粒の大きい豆が実るよう栽培の方法にも工夫が光ります。作付け本数を少なくし、株間や畝間(うねま)を広めに確保することで、1本1本に陽の光や土壌の栄養分をたっぷりと行き渡らせるのです。

「梅雨時期には土寄せと呼ばれる作業があり、豆の茎に土を手で寄せることでさらに根の張りを強くしていきます。それをシーズン中に2、3回繰り返して行うと、豆に体力が備わって茎が太くなり、さらに良質な豆へと成長してくれます。台風対策も万全で、倒伏防止のために畝の両側に支柱を立て、針金などを張る作業も行います。農家のみなさんは本当に熱心。草1本生えていない畑も多いんですよ」。丹波黒は収穫までに何かと手間がかかるうえ、生育期間が約半年と非常に長い作物。これが苦労豆と言われるゆえんなのです。

生育に理想の気候と土壌

手で1本1本葉を落とし、いよいよ収穫へ。

その昔、丹波黒は兵庫県と京都府でわずか数十ヘクタールほどしか栽培されていませんでしたが、現在は篠山市だけで約600ヘクタールの栽培面積を誇ります。丹波黒の栽培が広がった大きなきっかけは、昭和45年から始まった減反政策。米作りをしなくなった農家が米の代用として丹波黒に着目したことで一気に栽培面積が拡大したのです。加えて、篠山盆地特有の気候と土壌も丹波黒の生育に適していました。朝夕に冷えて日中は気温が上昇し、1日の中で寒暖差が大きくなるのがこの地域の特徴。夏は霧も多く発生します。また土壌は粘土質で保水力が高め。生育にたっぷりの水分を必要とする丹波黒にとっては、まさに理想の環境が整っていました。しかし、ここ数年は気候が不安定で生育に影響が出ています。

収穫後は一旦風通しの良い畑で乾燥。「しまだて」(写真左)と「稲木」にかける(右)方法があります。

生育が遅れると流通にも響くため、山本さんも毎年の気温が気がかりです。「8月の初めに花が咲き、莢(さや)になるんですが、そのときに気温が高すぎると莢ができません。お盆明けの気温が20度を切ることや、9月以降の昼夜の寒暖差が大きいことが健やかな生育を助けてくれるため、特に重要となってきます」。生産者たちは収穫期を迎えるまで厳しい自然と戦いながら、日々試行錯誤を重ねています。


ブランドを支える「手より」

作業場では女性社員たちが大きなテーブルを囲み、丹波黒と向き合って手よりの最中。

小田垣商店の黒大豆は、品質が安定して良いと全国の料亭でひいきにされ、煮豆で有名な大手食品メーカーでも採用されています。厚く信頼を寄せられるわけは、同社独自の選別方法にありました。「弊社では丹波黒と丹波大納言を取り扱っていますが、農家さんから頂いた豆をそのまま右から左へ流し、袋詰めにすることはしません。同じ土地で育った豆でも農家さんによって微妙に出来が違いますから、品質を保つためには正確に選別することが大事です」と山本さん。同社では産地から届いた豆はまず機械でふるいにかけ、粒の大きさを振り分けていきます。

そしてここからが、山本さんが「小田垣の生命線」と言う最も重要な作業。粒の大きさごとに人が一粒ずつ品質をチェックしていく「手より」に入ります。手よりとは、自社で設けた厳しい基準に従い、一粒一粒手作業で良い豆と悪い豆の分別を行うこと。作業場を訪ねると、大きなテーブル状の作業スペースに豆が山積みになっており、それを女性社員たち数名が取り囲んでひたすらに豆と向き合っていました。黒大豆専用の選別機もありますが、やはり人間の感覚のほうが頼りになると山本さんは語ります。「手よりは目と耳と手をフルに活用。目では裂皮や虫食い、変色や異物が入っていないかを確認しています」。また、耳で音を聴き、手で1粒ずつ触れることで豆中の水分量をチェック。「乾きすぎているとカラカラという音がしますし、水分が入り過ぎていると握ったときにやわらかい。微妙な感覚ですが、熟練社員なら難なくわかります」。

手よりは集中力が大切。作業台に広げられた豆を手際良く選別していきます。

素人が見ると気が遠くなるような細かい作業も、この道数十年というベテランの手にかかれば何ともスムーズ。取引先の要望によって選別の基準を変えられるのも、手よりの利点です。かつては農閑期の仕事として当たり前のように見られた光景でしたが、継承しているのは1軒だけとなりました。小田垣商店のこうした優れた選別技術が、産地の高い品質を支えているといっても過言ではなく、丹波黒のブランドを守るためになくてはならない作業なのです。

丹波産に高値が付くのは

手よりで弾かれた粗悪な豆も無駄にはせず、きな粉やみそなどの加工品に姿を変えて食卓へ。

丹波黒は、丹波篠山地方で栽培された黒大豆のことではなく品種名です。兵庫県と京都府が産地としては有名ですが、岡山県や滋賀県でも作られており、小田垣商店ではこの4大産地から仕入れています。産地によって味に大差はありませんが、市場価格は違ってきます。一番高値がつくのは兵庫県・京都府産。岡山県と滋賀県は少し価格が落ちます。それにはある理由が。

丹波黒を乾物として流通させる場合、産地表記が義務付けられています。そのときに「丹波産」と記せるのは、丹波地方にあたる兵庫県篠山市、丹波市と、京都府福知山市、綾部市、京丹波町、南丹市、亀岡市などで収穫されたもののみ。丹波産にはもともとブランド価値が付いているので、市場のニーズが集まり供給が追い付かなくなるため、必然的に価格が上がってしまうのです。さらに、収穫時期も価格に大きく影響を与えています。乾物の黒大豆の需要は正月前の12月に集中し、この時期に粒が最も大きく育った状態で収穫できるように生産者たちは生育を調整していきます。兵庫県と京都府は昔から収穫時期が早く、新豆が12月の流通に間に合うのですが、岡山県や滋賀県は出回りが遅く、出荷は年明けとなってしまい、主に加工用原料として使われることになります。


枝豆で丹波黒の魅力を再発見

さやの中でふっくらと実をつけ、枝豆として食べごろを迎えた丹波黒。産地に秋の訪れを告げる味。

丹波黒の枝豆は、10月のわずか数週間だけ楽しめる短い旬の味。一部の料理人や農家では美味と知られていましたが、その味を全国へと広めたのは小田垣商店でした。「弊社の会長が取引先に毎年作柄見本として収穫前の丹波黒を畑から刈り取り、葉っぱを付けたまま送っていました。それがいつしかおいしいと評判になり、もっと送ってほしいと要望が寄せられるようになったんです。ところが、枝豆は野菜に分類されるので乾物屋では取り扱えない。いろいろと知恵を絞って通信販売にこぎつけました」。その後、マンガ『美味しんぼ』に取り上げられて人気に火が付き、イベント『ホロンピア'88北摂・丹波の祭典』で枝豆が振る舞われたことも知名度アップにつながりました。

丹波黒の枝豆は、毎年10月初旬に解禁日が設けられています。しかし、解禁日早々のものはあまり味が乗っておらず、山本さんのおすすめは15日以降だそう。「15日あたりから25日くらいまでが味のピーク。もちもち感と甘みが最高ですよ」。貴重な味を求めて、産地に足を運ぶ美食家も少なくありません。枝豆の流通がさかんになったことは、生産の拡大にもつながりました。

黒豆のおいしい煮方と栄養素

一般的な大豆は1つのさやに3粒入っていますが、丹波黒の場合は1粒もしくは2粒。粒数が少ないので大粒に育ちます。

大豆は「畑の肉」と呼ばれるほど栄養価に優れた食材です。タンパク質が豊富で必須アミノ酸をバランス良く含み、特に黒大豆は黒色の表皮にポリフェノールも含有。食べることで健康効果が期待されます。せっかくなら、丹波黒本来が持つ素材の良さを存分に生かしたいもの。産地の人に聞く最もおすすめの味わい方はやはり煮豆です。毎食の副菜として、また晩酌のお供にもぴったりです。ふっくらと仕上げるには、弱火でコトコトと長時間かけて煮るのがコツ。錆びた釘を数本入れることで豆の黒さが際立ち、見た目がより美しくなります。ふくよかな味に生産者たちの汗を重ねれば、おいしさもひとしお。じっくりと味わいたいものですね。
参考:『丹波黒大豆物語』 兵庫県丹波黒振興協議会 編(発行所/神戸新聞総合出版センター

(2015年7月 取材・文 岸本 恭児)