梅の月向農園

日本一の梅の里として知られる和歌山県みなべ町。香りが高くふくよかで艶やかな実は、みなべの梅ならでは。産地はまもなく1年で最も忙しい収穫期を迎えます。

梅の月向農園 (げっこうのうえん)

和歌山県日高郡みなべ町晩稲1160 月向山 0739-74-2453
http://www.minabe.net/
和歌山県南部に位置するみなべ町で、約100年続く梅農家。太平洋を一望する小高い丘の上にある梅園では、約700本の梅の樹を育てている。敷地内には梅蔵や作業所に加え醸造所もあり、栽培から加工、販売まで一貫した梅作りを行う。「テラスPlumoon」は、農園で作られた梅酒や梅シロップをテイスティングできるスペース。農園を訪れるゲストのために開放され、大きなガラス窓の外に広がる絶景を眺めながら贅沢なひとときを味わうことができる。

春、まだ静かな梅の里へ

傾斜地を緩やかに造成した月向農園の梅畑。見渡す限り梅の樹が広がっています。

「一目百万、香り十里」と称される日本一の梅どころ、和歌山県みなべ町。海岸まで続く山々は見渡す限り梅の樹が連なり、その美しさは見るものを魅了します。この地で約100年に渡り、梅を作り続ける「月向農園」を訪ねました。

急勾配の細い坂道を車でグングン登った先にある月向農園。標高約100mの月向山の尾根には、2.7ヘクタールの梅園が広がっています。約700本の梅樹を、毎日汗を流しながら手入れするのは園主の月向雅彦さん。健康に良い梅を育てるのは私の使命と、先祖代々受け継いだ土地を大切に守り続けています。

取材におじゃましたのは、まだ冬の気配が残る3月中旬。みなべにはひと足早く春が訪れ、見ごろを終えた梅の樹は赤いガクだけになっていました。「満開のシーズンを迎える2月中旬ごろは、山一面がじゅうたんを敷いたようにまっ白になるんですよ。それが海岸までずっと続いていてとっても美しい。まだ寒い時期なのになんでこんなにきれいな花が咲くのかなって、毎年不思議に思います」と月向さん。早春の園内は月向さんいわく「わびさびのある花の香り」に包まれ、季節の移ろいを告げてくれるのだそう。花が散ると梅作りは本格的なシーズンへ突入。農園は収穫期に向けて徐々に忙しさを増していきます。

地の利を生かした栽培方法

花びらが散り、赤いガクだけになった梅。これからぷっくりと実を膨らませていきます。

昔から痩せ地だったみなべ町は、作物を栽培するのに適した土地とは言えませんでした。ところが、その痩せ地を好んだのが梅。水はけが良く日照時間が長いという気候風土も、良質な梅を育てるのには最適でした。また、このあたり特有の瓜溪石(うりだにいし)を含んだ土壌も梅の健やかな成長を後押ししてくれています。瓜溪石は炭酸カルシウムから成り、成長期に土からたくさんの栄養を得た梅の実はふくよか。適度なミネラル分をもつ潮風も伸びやかな生育を助けてくれます。

こうした地の利を生かしながら、作り手たちは上質な梅を育てるために努力を惜しみません。「毎年の梅の品質を決めるのは、9割がた5月と6月上旬の雨量と日射量。梅の実は4月からどんどんと大きく膨らみ始め、5月に一番成長します。雨量が多すぎる年は実の締りが悪く病気にもなりやすい。雨が多いと予想される年は、天候とにらめっこしながら肥料の量を変えたりします」。

月向農園では、土や樹に負担がかからないよう、肥料は良質なものを少しずつ与えるのがポリシー。剪定した枝は1年間自然乾燥させ、細かくして土に戻すことで栄養分としています。さらに、乾燥気味な同園では梅が病気になりにくいのもメリット。農薬の散布量は必要最低限に抑えています。梅は、桃やぶどうなどのデリケートな作物とは違って、基本的には肥料や農薬がそれほど必要ではありません。月向さんは、梅がどのように栽培されているかをお客さんたちに正しく知ってもらうため、同園で1年間に使う肥料と農薬の種類や量をホームページ上でオープンにしています。


地域を支えた南高梅の誕生

傾斜地で育った月光農園の梅は、彩度が高く皮は薄く、果肉がふっくらしているのが特長。

地域世帯の約9割が梅を栽培し、みなべと梅作りは今では切っても切れない間柄。梅作りが地域の産業としてこれほどまでに発展を遂げたのには、契機となった出来事があります。江戸時代、痩せ地で作物が育たないことに悩んでいたみなべや田辺の農民たち。その生活は苦しくなる一方でした。そこで田辺藩主・安藤帯刀は、家々の周りに植わっていたやぶ梅に着目。梅栽培を行えば租税を免じると奨励しました。農民たちはこぞって梅を育てるようになり、どんどんとやぶ梅作りが広がっていくことになります。月向さんの先祖も時の流れに習い、知人から譲り受けた月向山を開墾し、梅の樹を植えて栽培を始めました。

その歩みのなかで登場したのが南高梅。昭和20年代、農家ごとに育てていた梅の品種を統一しようという動きがありました。数ある梅の中から選りすぐったところ、最優良品種に認められたのが高田家の梅。それを南高梅と名付けたのがブランド梅の始まりです。「南高梅が品種登録されたのはうちの親父の時代で、今から50年前になります。当時、これはすばらしい品種だと梅農家の間で話題になりました。梅はそれまで実生苗と言って種をそのまま土に植えて成長させていました。同じ方法で南高梅を育てるとどんな異質なものが現れるかわからないと、親父が接ぎ木繁殖させるようになったんです。それで一気にみなべと田辺に梅園の面積が増えました」。南高梅の誕生がなければ、梅作りに今のような発展はなかったと月向さんは言います。

かつお梅がもたらした革命

出来上がったばかりの梅干し。爽やかな香りがあたりに広がります。

月向さんの父はその後、梅の選果機を独自に開発し梅農家が次々と導入。アナログだった作業の効率化が進んだことも、地域産業のさらなる躍進につながりました。このように、最優良品種の誕生と作業体系の進化によって、みなべと田辺の梅作りは大きな転換期を迎えることとなります。

そこにまた追い風となったのが、かつお梅の登場です。梅干しにかつおの旨みをプラスした商品は、あっという間に消費者の心を掴み、爆発的なヒットを飛ばしました。これがきっかけとなって梅干しの味に革命が起こります。旨みと甘みが調整された調味梅干しは、これまでの「酸っぱくてしょっぱいもの」という概念を覆し、新たなファン層を確立。ふくよかでやわらかな味わいのある一粒に価値を見出した人も多く、いつしか紀州の梅干しは贈答用として重宝されるようになりました。「私たちが意図したわけではないのですが、さまざまな上昇運気が重なって紀州梅のブランド化が進んだのだと思います」。


梅が梅干しになるまで

健やかな梅の成長を促し、育っていく実を傷つけないためにも剪定作業には時間をかけます。

月向農園の作業場と梅蔵を案内してもらいました。梅作りのオフシーズンは静かでひっそりとしていますが、6月上旬に始まる梅酒用青梅の収穫期になると一変。一粒一粒丁寧に手でもぎとった梅の実で作業場はいっぱいになり、選別や箱詰めに追われる家族やスタッフたちでにぎやかになります。

6月下旬から7月上旬にかけては梅干し用の完熟梅が収穫の最盛期。完全に熟して自然落下したものを、畑に張り巡らせたネットがキャッチ。デリケートな実を傷つけないように網ですくってかごに入れていきます。それを作業場に持ち帰り手作業で選別。こうして選りすぐられた実だけが塩漬けの時を待ちます。月向さんはその年の梅の調子を見るため、漬け込む前の完熟梅をそのまま一度味見するそう。ピーチのような香りが鼻をくすぐり、雑味や水っぽさがなく、エキス分の濃さが感じられれば合格点。今年も良い梅ができたとほっと胸をなでおろします。

作業場の中で至る所に高く積まれた黄色い箱は、梅干しの寝床。中を覗いてみると、天然塩だけで漬ける昔ながらの梅干しがぎっしりと詰まっています。乾燥を嫌う梅干しは、ビニール袋に入れてテープで密閉し保管するのがベスト。塩漬けのものは殺菌力が高いため、湿度を保っておけば長期保存が可能なのだそうです。月向農園では初物から10年熟成のヴィンテージものまでがそろい、お客さんは好みの年代を選んで買うことができます。塩漬け梅干しは年月を重ねると味がなじみ、まろやかさが出てくると月向さん。食べ比べてみるのも一興です。

梅酒作りが教えてくれること

タンクの中で育つ梅酒を見守る月向さん

月向さんが「これは男のロマンなんです」と目を輝かせて語るのが、敷地内にある自家醸造所での梅酒作り。2008年にみなべが梅酒特区認定を受けたことをきっかけに、梅酒醸造免許を取得。2010年から本格的に仕込みを始めました。「自分が本当においしいと思う梅酒を作りたい」というのが月向さんの長年の夢。念願叶った今は、タンクの中で個性の異なる3種類の梅酒を年間2,000本(500ml)ほど作っています。

自分で梅酒を仕込むようになって、その奥深さを知ったという月向さん。「毎年同じレシピで作っても、その年の梅の出来によって味が左右されるため、同じには仕上がらないんです。

醸造所で作った自慢の梅酒。まろやかな味わいやスッキリとした口当たりなどそれぞれに個性が際立ちます。

今みなべで梅酒を作っているところは12軒あるんですが、同じ気候風土で育った梅を使って同じような作り方をしているのに、飲み比べてみると明らかに違うんですよ。それが梅酒作りのおもしろいところです」。

2013年と2014年は梅が育つのに最適な気候に恵まれ、品質が大きく変わった特殊な年。糖度が高く、風味にパインに似たトロピカルさが感じられる実ができました。「味わいの微妙な変化は梅干しではなかなか表現しにくいんですが、梅酒ならダイレクトに反映できます」。2014年仕込みの蔵出しはまもなく。それをゆっくりと味わうのが月向さんにとって至福のときです。


梅を食べて健康をサポート

梅本来のパワーを凝縮させた梅の梅肉エキス。毎日口にすることで健康をサポート。

「梅はその日の難逃れ」ということわざがあるほど、毎日食べると健康に良いとされる梅。実際のところはどうなのでしょうか。月向さんに尋ねてみました。「朝1個の梅干しと、夜寝る前の梅肉エキスは家族全員の習慣。梅は日々の生活に欠かせません」。

梅肉エキスとは、梅の実の果汁を絞ってじっくり加熱し水分を飛ばしたもの。青梅1kgからわずか20gしか抽出できない希少な品です。月向農園では厳選した梅を使い、添加物は一切加えず昔ながらの製法でピュアな味を作り出しています。粘り気のある液体の中には梅の有効成分をぎゅっと濃縮。梅干しよりパンチのある酸味が印象的です。

梅肉エキスは明治時代から薬代わりとして重宝されていました。「天然成分だけでできているので、薬のように副作用を心配することもありません。もちろん個人差はありますが、私はストレートに体に効くと思います。最も実感できるのが疲労回復。就寝前にティースプーンに少しすくって食べるだけなんですが、朝起きたときの体の軽さが違うんですよ。スムーズな便通もサポートしてくれます」。また、血液をサラサラにする効果も期待できるそう。バランスの良い食生活にプラスすれば、元気な体づくりをサポートしてくれるかもしれませんね。

梅干しのアレンジ料理いろいろ

教えていただいた一品をつくってみました。

そのまま食べておいしい梅干しですが、アレンジ料理も気になるところ。月向さんに梅農家ならではの梅の楽しみ方を聞いてみました。すると笑いながら「できるだけシンプルに味わうのが一番なんです」とやや拍子抜けする答えが返ってきました。とはいっても、とっておきがあるはず。

「一家でいろいろ試した末に行きついたイチオシは、かまぼことのコラボレーションです」。スーパーで売っている普通のかまぼこを切って、間に梅肉と大葉を挟むだけのお手軽さ。試してみると、梅の酸味と大葉の香りがさわやかでお酒のおつまみにぴったりです。洋風にアレンジするなら、カルパッチョのソース。梅肉とオリーブオイルを混ぜて刺身の上にさっとかけます。いつものカルパッチョがさっぱりとした味わいになり、おもてなしの一皿に。夏の暑い日は、梅肉とネギを混ぜて具にしたおにぎりが食欲増進に一役。そして究極はお湯漬け。その名の通り、白いごはんの上に梅干しを乗せてお湯をかけるだけ。「お茶だと梅干しの風味を邪魔するので、お湯がベスト。あっさりしすぎて飽きてしまうときは、トッピングを工夫するのがポイントです。サラサラとしていてお湯漬けは別腹。二日酔いの朝にもおすすめですよ」。

梅のある生活は幸せを運ぶ

テラスPlumoonからの景色は圧巻。開放的な窓辺の席は梅が満開の時期の特等席。

梅のことについて終始楽しそうに語る月向さん。梅農家のおもしろさは、栽培から加工までトータルに携わることができるところにあると言います。「梅を育てると、梅干しはもちろん梅ジュースや梅酒も自分の手で作ることができるじゃないですか。栽培するだけで終わらないところに栽培家としての醍醐味があると思うんです」。

月向さんはしばしば、梅が持つ3つの力を人に伝えています。「1つめは梅を作って楽しむ力と人を楽しませる力。2つめが人を健康にする力。1つめの楽しい気持ちと2つめの健康を合わせたら、3つめに来るのは幸せでしょう」。梅がそばにある生活は、いつも心を豊かにしてくれると月向さん。「春が過ぎ、実がどんどんと膨らんでいく様子を毎日みていると、かわいいなと思うんです」。それはまるでわが子を育てるよう。ふんわりやさしい梅の実は、作り手たちの豊かな愛情を宿しています。

(2015年3月 取材・文 岸本 恭児)