スポーツ栄養士 坂元美子さん

スポーツ選手にとって食べることはトレーニングの一環。納得のいく結果を残すためには、毎日の食事でどれだけ効率良くパワーを養えるかがカギとなってきます。今回は、選手たちの傍らで健康を支える「スポーツ栄養士」に注目しました。

スポーツ栄養士 坂元 美子さん

神戸女子大学管理栄養士養成課程を卒業後、1995年にオリックスブルーウェーブ球団専属管理栄養士に就任。甲南大学アメリカンフットボール部、LリーグチームINAC神戸レオネッサ、Vリーグチームサントリーサンバーズ、京都橘高校サッカー部など、プロ・アマ問わず数多くのアスリートたちを食事の面からサポート。現在は心身と能力の成長期にある小・中・高生のスポーツ選手たちを中心に栄養指導を行っている。また、神戸女子大学健康福祉学部健康スポーツ栄養学科で准教授を務め、自身が立ち上げたNPO法人日本スポーツコーチ&トレーナー協会では理事として後進の指導に当たる。

自ら切り開いたスポーツ栄養士という道

スポーツ栄養士とは、スポーツ選手へ食事指導を行い、健康管理を担うプロフェッショナル。アスリートを支える裏方職業の中でも、比較的最近スポットを浴びるようになったポジションで、その職に就くのは狭き門と言われています。

坂元美子さんはそんなスポーツ栄養士の草分け的存在。栄養面とスポーツの関係性が今ほど注目されていなかったころから独学で学びを深め、さまざまな現場で経験を積みながらスポーツ栄養士という立場を確立してきました。現在も第一線で選手たちをサポートしながら、神戸女子大学健康福祉学部健康スポーツ栄養学科の准教授として教鞭を執る坂元さんは、学生たちの憧れの的。でも当の本人はというと「実はスポーツ栄養士は、なりたくてなった職業ではなかったんです」と苦笑いします。

大学卒業後は、給食の献立立案に携わる学校の栄養士を希望していた坂元さん。しかし思うようにはいかず、同級生の誘いで兵庫医科大学に就職。研究室で難病の患者さんの血液成分を調べたりデータ集めをしたりしながら充実した毎日を送り、栄養学の分野からはしばらく遠ざかっていました。そんなある日、転機が訪れます。

気軽に始めたプロ野球選手への指導

「たまたま病院に検査に来ていたオリックスブルーウェーブの選手のトレーナーさんと話す機会があって。ダイエットしなきゃいけないピッチャーがいるんだけれど、オフ期間の食事メニューを考えてもらないかと相談されました。さっそく1週間分の献立を組んで送ってみたところ評判が良く、次のシーズンからシーズン中の選手の体調管理の相談に乗ってほしいとオファーが来たんです」。

栄養学は学生時代に学んだものの、スポーツ選手へのアプローチは素人同然。一抹の不安を抱えながらも「ボランティアでお願いしたい」という一言に肩の力が抜け、腕試しのつもりでチャレンジすることに。このころはまだ、どの球団にも専属栄養士がいない時代。相談できる先輩や同僚もなく、毎日が手探り状態でした。「スポーツ選手が必要な栄養素といえばタンパク質かな」くらいの一般知識レベルでスタートし、熱心に勉強を進めた坂元さん。すると、自分なりの考えを導き出せるようになりました。「スポーツ選手が普通の人より多く摂るべきタンパク質をどのように摂取すればいいのか。臨床の栄養学をもとに調べていくと、肝臓病の寛解期の食事と似ていることに気が付き、献立の参考にしたりもしました」。

真摯に向き合う姿勢が少しずつ実を結んで、3年契約で正式に球団職員として迎えられることになります。「契約期間内で選手の意識レベルを高め、成果を残してくれというのが球団側からのオーダーでした。結果重視というところがプロ野球球団っぽいですよね(笑)」。


試行錯誤で見つけた指導方法

野菜、肉類、海藻など、
バランスの摂れた彩り豊かな食事が理想。

オリックスに入ったものの、食事や健康に関しては無頓着な選手ばかり。「栄養指導を行っても、体力の衰えを自覚しているベテラン選手以外はなかなか受け入れてもらえませんでした」。今まで好きなものを食べてプロになれたのだからとやかく言われたくないと、ちょっぴり煙たがられたころもあったそう。

自分の言葉や話の内容に説得力をもたせ、関心をひくにはどうすればいいか。まずは選手たちの意識改革が必要と、あれこれ頭をひねります。さまざまな方法を試みる中で、効を奏した作戦がいくつかあるそう。その1つが"さりげなくアドバイス作戦"。選手と何気ない会話を交わしているときに「最近、疲れやすいんですよ」と体の悩みに関する話題が出ると「缶コーヒーを1日に2本も3本も飲むからじゃないの?」と笑顔でチクリ。「キャンプにも選手たちが疲れてきたかなというときに帯同して、食事時にバイキング形式のメニューから『これ、摂っておくといいですよ』と個人的に耳打ちしていました」。

決して出すぎず、相手に必要とされていると感じたときにさらりとアドバイスする。これぞ坂元さんが導き出した、反発を生まずして人の心を動かすテクニック。

また、月1回発行していたA4サイズの栄養通信も効果的でした。「1人ずつ配ったところで読んではもらえないので、トイレに張り出しました。便座に座って自然と目に留まる位置にあると、内容がすっと入ってくるんじゃないかと思って」。夏バテに効く食べ物に冷しゃぶうどんを挙げ、豚肉の栄養素や効果を書き添えたり、缶コーヒーはなぜいけないのかをテーマにしてみたり。親しみやすく身近な内容で気を引くと、徐々に選手たちが関心を示すようになったそう。「豚肉っていいんですよねと話しかけてきてくれたときには、うれしさと同時に手ごたえを感じました」。

検査結果は何よりも正直

選手がどんなに隠しても数字は正直。「ライフスタイルや食生活の乱れはきちんと検査データに表れる」と自信を持つ坂元さん。オリックス在職時代、キャンプ中に選手がどれだけ疲れているかデータを取ってほしいというオーダーを受けたときのこと。大学病院で働いていたときの経験から、ひらめいたのが尿検査の実施でした。

「朝起きてすぐと練習が終わった直後に採尿してもらい、タンパク質やケトン体が出ているかを調べました」。ケトン体はいわゆる疲労物質。尿中にどれだけ含まれているかによって、その人の疲労度を知ることができます。「朝の尿にケトン体が含まれていれば、睡眠不足や深夜までの飲酒が推測できます。また、朝ごはんを抜くと体内のタンパク質が分解されてケトン体になることが多く、練習後の尿にケトン体が出ていれば朝ごはんを食べなかったことがわかります」。

検査データをもとに選手たちに事実確認してみると、おもしろいように当たっていて坂元さんはニンマリ。これもまた、選手たちの信頼を得るための妙案でした。


スポーツ栄養学の基本とは

学生たちには栄養や健康について
丁寧にわかりやすく伝えています。

日々の練習や試合にかなりのエネルギーを必要とするスポーツ選手たち。特別な栄養指導のプログラムがあるのかと思いきや、一般人や病気の人に向けての指導とまったく同じというから不思議。

「日本人が生活習慣予防や健康を維持するために必要とする食事の三大栄養素のエネルギー比率は、糖質60%、タンパク質25%、脂質15%と厚生労働省でも定められています。これは一般の人も病気の人もスポーツ選手も変わりません。スポーツをする人はたくさんエネルギーを消費するので、食べる量は多くなりますが、比率で見た場合、差はないんです」。

また、3食きちんと食べることもエネルギーを効率良く生み出すための基本。「エネルギーの主体となるのは糖質。つまり炭水化物です。試合の日やお昼後すぐにトレーニングに入る場合は、麺類など消化が良くエネルギーになりやすいものを食べるよう指導します」。

スポーツ栄養学では、サプリメントについても必須知識として学びます。ではサプリメントはスポーツ選手の体づくりに欠かせないものかと問うと、首をかしげる坂元さん。これまでの坂元さんの研究データに基づくと、食品から五大栄養素がきちんと摂取できていない場合、どんなにサプリメントを服用しても体内でうまく利用できず、十分な効果は期待できないそう。それは同時に、正しい食事からたっぷり栄養を摂り、基礎となる体づくりができていれば、サプリメントの力は必要ないということも教えてくれています。

ベストパフォーマンスに必要なもの

スポーツ選手は体だけでなく、心も整っていないとベストなパフォーマンスはできません。栄養面からのサポートを行っていくうちに、心身のバランスの重要性を実感した坂元さん。大学院に入り、メンタルについて一から学びました。

「スポーツの現場では人間のできるトレーニングや身体能力は限界のところまできていると言われています。最終的に勝敗を分けるのは、どれだけブレない気持ちや折れない心を持っているか。特に多感な中学生や高校生のスポーツ選手たちには、メンタル的な支えの必要性を感じたことが何度かありました。私がアドバイスすることはあくまで食事に関してですが、長期遠征などは食事会場で選手たちに声をかけることを心がけ、何かあったときに気軽に相談できる保健室の先生的な存在でいるようにしています」。

食べることを通して選手たちに安心感を与えることもまた、スポーツ栄養士としての大切な役割です。


あのイチロー選手や本田選手も

イチロー選手(中央/右)と本田選手(左)のサイン色紙。

オリックスでの任期を終えた後も、人の紹介をつないでスポーツ栄養士としてのステージを広げていった坂元さん。LリーグチームINAC神戸レオネッサ、甲南大学アメリカンフットボール部、Vリーグチームサントリーサンバーズなど、プロ・アマ問わず精力的に指導を行ってきました。

現在大リーグで活躍するイチロー選手もその1人。「オリックス時代の彼に栄養指導をしましたが、熱心に聞き入れてくれる選手でした。アメリカに渡った今でも交流はあり、毎年恒例の神戸での自主トレには会いに行きます。イチローは野菜嫌いや食に神経質というイメージがマスコミを通して伝えられていますが、本当はそうではありません。野菜も食べますし、食へのアンテナは高いほう。この間は、集中力を維持するのに豆乳がいいよと言うと関心を示していましたし、海藻類を勧めると『そうなんですね。でも海外ではなかなか食べる機会がなくて』と話していました」。

イタリアACミランに所属する本田圭佑選手にも、パーソナルトレーナーを通じて食事のアドバイスを行ったことがあるそう。坂元さんの栄養指導は、スポーツ史に名を刻む名選手たちからも厚い信頼が寄せられています。

確かな結果へ導く勝利の女神

坂元さんが多くのチームや選手たちから信頼される所以は、栄養指導の成果を確かな結果へと導く力にあります。オリックスは管理栄養士としてメンバーに加わった1995年からチームの成績が好転。その年にリーグ優勝を果たし、翌年は日本一も手にします。甲南大学アメリカンフットボール部は1部に昇格、Vリーグチームサントリーサンバーズも優勝を経験。現在携わっている京都橘高校サッカー部もまた、栄養指導を行ってから全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝しました。

まさに勝利の女神。その実力のほどを知るこんなエピソードも。「富山第一高校のサッカー部で栄養指導をしている教え子から、キャプテンが体調不良なので相談に乗ってほしいと連絡がきました。そこで毎回の食事内容をメールで送ってもらい、アドバイスをしたんです。するとその年の全国高等学校サッカー選手権大会で優勝しました」。

結果至上主義のスポーツ界で、貴重な勝利の立役者。「周りの人や選手からはたびたび『坂元さんはもっている』と言われます(笑)」。選手たちの好成績がやりがいの源。自分の行ったアプローチが間違っていなかったことを証明し、自信へとつないでくれています。

次なる大きな夢に向かって

合宿や遠征先には帯同し、食事時に
効果的な食べ方などを教えます。

坂元さんはこれまで数多くの栄養指導に携わる中で、指導者や父兄たちから食事に関するさまざまな疑問や質問を受けてきました。そこで、NPO法人日本スポーツコーチ・トレーナー協会を設立し、栄養学の知識がない人でも理解しやすい教材を作成。スポーツ栄養アドバイザー、シニアスポーツ栄養アドバイザーという資格制度も設けました。 選手に身近な人たちが、体の成長に合わせた栄養の摂り方、スポーツ選手に起こりやすい病気や水分補給・熱中症対策などの知識を正しく得ることで、より力強くバックアップすることができます。

最近は、伸び盛りにある小・中・高校生のスポーツ選手に栄養指導を行うことが多いという坂元さん。未来の選手たちを育てることは、現役のプロ選手をサポートする以上にワクワクすると言います。さて、これからの夢は?

「小学生のときに栄養指導していた子が何年後かに『先生のおかげでオリンピックに出られました』と報告しに来てくれること。これが今から楽しみなんです」とニッコリ。2020年は東京オリンピック。その夢が現実になる日も近いかもしれません。

(2014年6月 取材・文 岸本 恭児)