足利家ゆかりの「奥ノ山茶園」を守る老舗の心意気

高級茶の産地として知られる京都・宇治。この地に室町時代、足利義満により「宇治七名園」と呼ばれる優れた茶園が作られました。「森、祝、宇文字(うもんじ)、川下、奥の山、朝日に続く琵琶とこそ知れ」と和歌にも詠まれるほどでしたが、時の流れにより次々と消滅。現存する茶園は「奥ノ山」だけとなっています。
600年の時を超え「奥ノ山」を守り、伝統的な栽培方法で碾茶※(てんちゃ)を育てる堀井七茗園 堀井長太郎さんを訪ねました。
(※石臼でひく前の原葉のことを言い、ひき上げたものが抹茶)

堀井七茗園(ほりいしちめいえん)

「堀井七茗園」は京都府宇治市で上質な宇治茶の生産と販売を行う老舗。宇治で唯一、お茶の栽培から販売までを一貫して行う。明治12年に行われた「共進会製茶報告書」に二代目の名前が掲載され、公に名前が認められたことで同年を創業年としている。三代目は碾茶製造の機械化に着手し、大正13年に「堀井式碾茶製造機」を考案。ムラのない良質な製品ができるようになったことで宇治茶の品質が向上し、産地の発展に大きく寄与した。戦前・戦後は碾茶一筋で販売を行い、昭和27年より宇治茶全般を取り扱っている。

堀井七茗園(ほりいしちめいえん)
京都府宇治市宇治妙楽84
0774-23-1118(代)

宇治最古の茶園「奥ノ山」

宇治七名園の1つである「奥ノ山」は、資料上では宇治で一番古い茶園と記されています。明治中期から私どもがこの茶園を譲り受け、先祖代々大事に受け継いできました。大きさは40a。年によって出来は変わってきますが、収穫量は200kgほどです。茶摘みは毎年5月に1度だけ行い、その後は庭木の剪定と一緒で枝葉を切り落としてしまいます。多くの茶園が機械で摘採する今は、整枝をして幾何学模様に形を整えられていることがほとんどですが、当園は昔ながらの手摘み。新芽を摘んだ後の残った枝葉を刈り落とした後、来年の5月までそのまま育てます。これを自然仕立てと言います。お茶の品質にこだわると、やはり手摘み以外は考えられません。

奥ノ山

昭和50年代までは、この場所にもともと植わっていた宇治茶のルーツともいうべき在来種のお茶を栽培していました。当時は2000本くらいありましたが、きれいに整列しておらず、島状に配植したボコボコとした茶園でした。木から種がこぼれて、自然のままにどんどんと広がったためです。島状では茶摘みをする八十八夜のころになっても一本一本の成長がバラバラ。葉の大きさに大小があり、葉色も濃かったり薄かったり。同じ品種で揃えた画一的な茶園が一般的な中で、「奥ノ山」には在来種の茶園らしい個性がありました。

茶園

後世へ思いを継ぐ銘茶の誕生

ところが、困ったのは茶摘みさんです。茶摘みの仕事は能力給で、1kgいくらという換算。木によって出来がまったく違えば、一人一人が摘み取る量に差が生まれ不平不満が出てきます。作業の能率性や収穫性の問題もあり、やはり安定した栽培品種に変えないといけないということで、私の父が在来種を植え替えました。改植時には京都府などが推薦している碾茶の品種で葉が大きな「あさひ」が向いていると、今は畑の半分くらいまでは「あさひ」が植わっています。

しかし、せっかくの古い茶園です。在来種をすべてなくしてしまうのはもったいないと、父が後世に残すべき品種の選別に取り組みました。58種類あった中から収量や品質などの特性を見極め、品種登録するための厳しい審査を通過し、20年の歳月をかけて誕生したのが碾茶向きの「成里乃」と玉露向きの「奥の山」です。現在は「あさひ」と共にこの2品種も「奥ノ山」で育てています。特に「成里乃」はうま味のもとである「テアニン」の含有率が高め。従来の品種と比較して2倍程度あることが成分分析で立証され、抹茶に仕立てたときに苦味や渋みを感じさせない特徴があります。平成22年全国茶品評会碾茶の部では一等一席「農林水産大臣賞」を受賞し、品質の高さを証明しました。品種選抜から約30年。個人が見出した品種で日本一になることは稀なことであり、私たちの誇りです。

当園には400年前の「奥の山」の原木が今も元気に残っています。他の木と同じように手入れをして、茶摘みも行っているんですよ。お茶の木は寿命がありません。たとえ木が死んでも根は生きていることが多く、気候の変化に強いんです。とはいえ、おいしいお茶になってくれるのは、樹齢100年くらいまで。品評会に出して賞を取れる木となると樹齢40〜50年までです。


茶摘みに女性が多いのは

当園では「奥ノ山」の他にもう1つ同じ大きさの茶園を持っています。2つの茶園で茶摘みにかかる日数は20日ほど。5月2日あたりから作業を始めますが、最初のうちはまだ芽が小さく、いくら摘んでも収穫量は見込めません。2週間ほど経つと芽が成長して収穫量もぐんと増えてきます。茶摘みを手伝ってもらうのは、毎年15人ほどの決まった茶摘女(ちゃつみめ)さんたち。茶摘みの仕事に女性が多いのは “おしゃべり”が楽しいからでしょうね。井戸端会議の延長みたいに、みなさんワイワイと話をしながらせっせと手を動かしてくれていますよ。

茶摘みが終わると、夏は害虫との戦い。油断すると葉にダニなどがついて、あっという間に繁殖します。急いで取り除かないと、せっかく育った新芽が食べられて枯れてしまうんです。除去するにはどうしても農薬に頼らないといけないので、宇治ではなかなかオーガニックのお茶が作れません。

特産地を支える好環境と栽培法

お茶は温暖な土地ほど品質が良くなると言われています。宇治は暑すぎず寒すぎない適度な気候。宇治川がそばを流れ、川から発生する川霧が北風を和らげ、冬場もある程度温暖に保たれます。お茶の栽培に恵まれた環境だったことが宇治を一大産地に発展させました。

また、その発展に拍車をかけたのが、宇治の地で始まったとされる栽培方法。お茶の新芽が出そろう春ごろに一定期間、茶園全体によしずやわらをかけて光を遮り育てる覆下栽培(おおいしたさいばい)です。この技術が広まったことで、色が濃くうま味の強いお茶ができるようになりました。近年はよしずやわらに代わって寒冷紗(かんれいしゃ)と呼ばれる黒い被覆をかけています。寒冷紗はとても性能が良く、柔らかな新芽を育てるために木を直射日光からしっかりと守る役目を果たしてくれます。一度に真っ暗にしてしまうと新芽がまったく育たなくなるので、発育状況によって寒冷紗の枚数を多くしたり少なくしたりと遮光度を調整しながら成長させます。以前は新茶が取れる前の春の終わりごろまで覆いをしていたんですが、このごろは夏の日差しがあまりに強すぎて。夏場もひと月くらいは日よけをし、木が弱るのを防いでいます。このところの異常気象はお茶にとって過酷。過保護なほどに気を配ってやらないと思うようには育ちません。今年は梅雨らしい梅雨がなく、夏の暑さもかなり厳しかったので、生育にずいぶんと影響しました。

昔の宇治の茶問屋は、どこも自社茶園を持ちながらお茶の製造を行っていました。けれども生産と販売を両立させるのが難しく、茶園栽培をやめる問屋が増え、生産から販売まで行っているのは旧宇治では当園だけになってしまいました。代々受け継いだ茶園を守ることが私たちの使命。苦労は絶えませんが、毎年の摘み旬や出来具合もよくわかり、その年の生産状況が読め、農家の人とも話がしやすいというメリットがあります。こうしたことが当園への信頼にもつながっているのではないかと思います。


電動石臼を使った製茶技術

当園の製茶工場では毎日60台の電動石臼がフル稼働して抹茶を製造しています。摘んだ茶葉を蒸して乾燥させた荒茶の状態から風の力で葉脈や茎などを飛ばし、葉先の柔らかい部分だけを石臼にかけます。石臼の回転数は1分間に52~54回。1台あたりが1時間に作れる量はわずか40gしかありません。スピードを速くすると生産量は増えますが、なめらかさがなくなり、口に含んだときにざらついて品質が落ちてしまいます。

また、一番茶しか扱わないのもこだわり。二番茶以降になると渋さと苦味が増して抹茶としては飲めないからです。上品で大人しく、飲みやすいのが一番茶。お客様にその魅力をわかっていただきたいという思いで丁寧に製造しています。抹茶用の石臼はそば用の石臼とは異なり、端まで目がありません。これがミクロン単位まで細かく引け、華やかな香りを生み出す秘訣です。

抹茶の品質は色の鮮やかさで決まります。荒茶を見ていただくと一目瞭然。当園のものは葉の緑色が鮮やかでしょう。覆いを施し手塩にかけて茶葉を育てるからこそ、みずみずしい色が損なわれません。黄色味がかっているのは、覆いをする時間が足りずに太陽の光を浴びてしまったり、摘む時期が2週間ほど遅れて葉が大きくなってしまったもの。成長しすぎると味が薄くなり、色も鮮明さを欠いてしまいます。見た目にはっきりと色鮮やかなものは、うま味が強い抹茶に仕上がります。抹茶は鮮度が命。常に引き立てを提供することにも努めています。

味を磨き上げる宇治の努力

宇治では江戸時代から合組と呼ばれるブレンドを行い、味の均一化を図ってきました。ブレンドと聞くと質が悪そうと思われるかもしれませんが、宇治のお茶は違います。ブレンドするのは卓越した技術と経験を持つ茶師。茶葉の個性を見極めて絶妙な割合で合わせることで、それぞれの品種の持ち味以上のものを引き出しています。

製造においても宇治の茶業界は昔から創意工夫を重ねてきました。今では広く普及している電動石臼。開発したのは宇治の業者です。電動石臼が誕生するまでは人力で作業を行っていたのですから、かなりの重労働だったことがうかがえます。石臼のメンテナンスは目立て職人と呼ばれる専門の技術士たちが担い、宇治の茶問屋を1軒ずつ回っていた時代がありました。碾茶製造の機械化は当園の三代目が着手し、大正13年に「堀井式碾茶製造機」を考案。安定した品質のお茶を届ける基盤を作り上げました。また、劣化の早い抹茶を、1缶40gという小さい単位で売り始めたのも宇治が最初です。このように宇治は長年にわたり茶業界の活性化に取り組み、さまざまな革命を起こしてきました。


ブランド産地としてのプライド

宇治が日本屈指のお茶どころとして長く続いてきた理由は、第一に安定した品質の高さにあるのではないでしょうか。全国の荒茶生産量は年間約8万トン。うち宇治での生産量は3200トンしかなく、全国シェアはわずか4%ほど。生産量では全国1位を誇る静岡県に到底及びません。けれども抹茶と玉露の味や風味に関しては、他の産地がまったく追いつけないレベルに達していると自信を持っており、量が少ない分、希少価値も高まり値が張ります。

だからといって現状にあぐらをかいていてはいけません。煎茶はどこの産地も良いものを作ろうと力を注いでいて、近年クオリティが上がってきています。私たちも他の産地に負けないよう常に努力を重ねていかないと。飲んでシンプルに「おいしい」と感じてもらえるお茶づくりに邁進し、先人たちが守ってきた宇治の名を落とさないよう日々がんばるだけです。

【コラム】「茶十徳」に集約されたお茶の魅力

堀井七茗園の店舗の奥に掲げられていた「茶十徳」。今から800年ほど前に、茶祖の栄西禅師(えいさいぜんし)の弟子明恵上人(みょうえしょうにん)が京都の栂尾高山寺の庭に茶の種をまき、お茶を飲むことで得られる効能を『十ヶ条』にまとめたものが今に伝わったとされています。その意味を一つずつ読み解いてみると、言葉の奥深さに身が引き締まります。

「諸佛加護」一年を通して葉の緑を保ち、強く根をはるお茶の生命力があなたを守る
「五臓調和」お茶に含まれる成分が体の調子を整えてくれる
「孝養父母」お茶の深い味わいが素直な心を育て、父母への感謝の気持ちを育む
「煩悩消除」お茶の味わいが煩わしい世事の疲れを忘れさせる
「壽命長遠」養生の仙薬とも言われるお茶を飲み、心に煩悩がなく病気がなければ長寿も叶う
「睡眠自除」お茶は神経機能を活発にし、睡魔を取り去ることができる
「息災延命」お茶を飲めば毎日を元気で暮らせる
「天神随心」お茶を飲む時は心を落ち着かせ、純真な心になれる
「諸天加護」一服のお茶が家族や友人との語らいの時を生む。邪気邪念なく神仏の加護がある
「臨終不乱」お茶を愛飲することで心の平静を保ち、天寿を全うできる

(2018年8月取材・文 岸本恭児)