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機械化しても職人技が頼り

機械が並ぶ工場内。繁忙期にはフル稼働し、多数ある商品を安定して生産しています。

兵庫県西宮市にあるあみだ池大黒の本社工場では、毎日多種多彩なバリエーションのおこしが製造されています。昔のおこしづくりは一人前と認められるまでに10年かかると言われた厳しい世界でした。師に教えを請うのではなく、下積み時代を経て技を覚えていたそうです。現在では製造の中心が人の手から機械へと代わり、商品の均一化や安定した大量生産を実現。けれども職人の勘が頼りの工程ではオートメーション化が難しく、ベテランから若手へと技術が引き継がれています。

おこしづくりはまず、蒸したお米を乾燥させるところから始まります。あみだ池大黒ではお米は昔から播州米と決まっており、もち米は佐賀県産のものを使用。小林さんは「おこしは素材がシンプルなので味のごまかしは一切ききません。だからこそ、職人の繊細な技が重要になってきます」と言います。工場内では機械がフル稼働しながらも人手が多く、丁寧な作業の一つ一つに商品への深い愛情が垣間見えます。

乾燥させたお米は、その後炒ってパフ状にします。パフの大きさはさまざまで、商品ごとに使い分けるこだわりがあるそう。釜では水飴と砂糖を火にかけ飴をつくり、頃合いを見ながらお米のパフと合わせます。飴の炊き方や混ぜ方にも代々受け継がれてきたオリジナルの製法があり、忠実に技が守られてきました。おこしづくりの大敵は気温と湿度。日によって微細に変化する製造環境に神経をとがらせながら、高い品質の商品を生み出しています。

昔のおこしはなぜ硬い?

昔ながらのおこしは上から重さをかけ、ぎゅっと押し固めていくことで独特の硬さが生まれます。出来立てのおこしはほんのりと温かさが残り、香ばしさが際立ちます。つい手が伸びてしまうおいしさ。

板状になった昔ながらのおこしは、時代が移り行く今もあみだ池大黒にとって主軸となる大事な商品です。いつ食べても変わらない素朴な味わいが魅力ですが、併せて「硬い」というイメージが浮かぶ人も少なくないのではないでしょうか。特に岩おこしは、丈夫な歯がなければ食べるのをためらってしまうほどです。実はこの独特の硬さに大阪人らしい遊び心が隠されていました。

江戸時代中期の大阪は、運河をつくるための工事が盛んに行われ、街中に岩がゴロゴロと掘り出されていました。それを見たシャレ好きな大阪人は、お米をより細かく砕きショウガを加えた硬いおこしをつくり、「大阪の掘り起し、岩おこし」と命名して販売。大ヒットを巻き起こしました。しかしどうして人々に硬いおこしが好まれたのでしょうか。その理由を小林さんは次のように話します。

「昔のおこしはガリガリと噛んで食べるものではなく、舐めて味わうお菓子でした。甘いものが貴重だったので、口の中でできるだけ長くとどめて楽しんでいたんです。ですから元来おこしは硬くなければならないと、私もお客さんによく言われたものです」。昭和の終わりごろからは小さな子どもや年配の人に向けた食べやすいおこしへのニーズも増え、小林さんのアイデアで薄型に改良した「浪の詩」を発売。パッケージもスタイリッシュになり、新たな市場を開拓していきました。

(つづく)

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