みらいたべる

食べることは日常で、ごく当たり前のこと。時代はそんな飽食の真っただ中にあります。けれども時には立ち止まり、日々の食と向き合うことも必要だと思いませんか。妊娠に気づいたときや晴れてお母さんになったときはなおのこと。女性がおいしく賢く健やかに食べることが命をつなぐ力になる――。食の新しい価値観として生まれた「産育食(さんいくしょく)」を読み解いてみましょう。

みらいたべる

神戸市中央区筒井町3-17-9 アーバンホワイト303 078-251-0881
http://miraitaberu.com
2008年より産婦人科病院のキッチンで働く調理チームとして活動を開始。さまざまな経験から「食べることはこころとからだにつながっている」と学んだ同代表取締役の小附孝さんは“うみそだてる人の食”を「産育食」と命名。現在は産婦人科食事サービスに加え、産前から授乳期に焦点を当ててより良い食と暮らしの知恵を追求する「産育食事業」を展開している。また、妊娠・授乳期に必要な情報を集約したコミュニティーサイト「月とみのり」も運営。2016年11月には産育食を世代・性別を超えて楽しんでもらうためのカフェダイニング「TOIRONI(トイロニ)」を神戸市内にオープンさせた。産育食のノウハウやレシピを記した『ママと赤ちゃんのための体重コントロール栄養食』(誠文堂新光社)『パパがつくる産前産後のおいしいごはん』(文化出版局)など書籍も出版している。

新顔カフェに秘めた思い

大きな窓が開放的でくつろぎ感にあふれたトイロニ。世代や性別を超えて産育食を発信するスペースとして生まれました。

ニュータウンとして発展しながら豊かな自然も残す神戸市北区。閑静な住宅地の一角に、古民家の風情漂うカフェダイニングが昨秋オープンしました。空間の楽しみ方や時間の過ごし方は十人十色。訪れる人すべての心をほんわかと温めたり、時に思いを作り出したりする場所でありたい――。スタッフたちのそんな思いが「TOIRONI(トイロニ)」という店の名に込められています。

メニューを彩るのは、旬を愛おしむようなランチやスイーツ。見た目に鮮やかで栄養バランスにも優れたランチは五感を刺激し、食べることへの意欲をかきたててくれます。農園から届いたフレッシュな野菜は、素材の持ち味を生かして野趣あふれるサラダやおしゃれなデリに。ヘルシーにアレンジされた肉や魚がボリュームを高め、しっかりとおなかを満たしてくれると男性にも好評です。

実はこちらの料理はすべて「産育食」という考え方に基づき作られたもの。多くの人にとってまだ耳馴染みのないこの言葉。さて、産育食とはいったい?

産育食が生まれた背景

産育食は社会や家庭の中で人それぞれに見つけていくものでもあると言う小附さん。「僕もまだ探している最中です」。

「産育食は私が作った造語です。簡単に説明すると“うみそだてる人の食”という意味。読んで字のごとくなんですけどね」(笑)。やわらかな口調でそう話し始めたのは「みらいたべる」の代表取締役である小附孝さん。産院に同社スタッフが常駐し、入院患者さん向けの食事を提供する事業などを展開しています。小附さんはかつて公務員として働きながら舞台演出家としても活躍。自分にしかできないものづくりをとの思いが膨らみ、心機一転料理の世界へ飛び込みました。パリで修行を積み、神戸・北野の有名フレンチレストランでは料理長まで登りつめたことも。自分の経歴と食の技術のマッチングを求めて転職した給食会社で産婦人科病院の食事を担当したことが、改めて食と向き合う大きな転機となりました。

「お母さんと赤ちゃんは妊娠期から授乳期まで、食べたものを分け合う時間を過ごします。お母さんの食べたものがそのまま赤ちゃんの栄養となり、新しい命が育まれていく。この期間お母さんが口にするものは、普段の食事とはまったく違う意味を持つものだと知り、とても興味深いと思いました」。 けれども現場に目をやると、妊産婦さんたちの多くは食に関してそれほど関心が高くない様子。医師も健診時に母体の数値が安定していれば、日々の食事についてわざわざ話そうとはしません。現状を知ったことでいつしか「食べたものを共有できるってお母さんと赤ちゃんにとって一番幸せな時なんだよ、食べることは次の命が育っていくかけがえのない行為なんだよということを新しい価値観として世の中に打ち出していきたい」という気持ちが芽生えたと言います。

この思いを原点に「みらいたべる」を設立したのは2008年のこと。そして活動の柱として掲げたのが産育食の提案と提供でした。


産育食は曖昧でいい

トイロニで人気のサラダプレートランチ。ワンプレートにたっぷり盛られた野菜からはみずみずしさが伝わります。

産育食と聞けば、妊産婦さんたちが食べることを控えた方がよい食品や、何をどれだけ食べればよいといった厳格なスケールが定められていると思う人も多いはず。ところが小附さんからは細かな基準についての話はまったく出てきません。驚いたことに、産育食には明らかな定義すらないとのこと。

「鉄や葉酸が1日に何㎎必要というのは厚生労働省がまとめた妊婦授乳期の食事摂取基準。産育食とイコールではありません。産院やトイロニで僕たちが作っている食事だけを産育食とも限っていません。人それぞれの捉え方があっていいのが産育食。活動を始めて9年になりますが、実は僕たちも未だ模索中です。最近ようやく何となく、産育食はモノではなくコトなのかもいうところまでたどり着きました。妊娠を望んだときから授乳期までの食をちょっと意識すること、態度やスタンスとしてとらえることが本質なんじゃないかと。とはいっても、やはりきっちりとした枠は決めず、とらえどころのないものでいいと思っています」。

この思いを原点に「みらいたべる」を設立したのは2008年のこと。そして活動の柱として掲げたのが産育食の提案と提供でした。

継続してこそ本物

正月用の入院食は和食料理店のような豪華さ。すべて手が込んでいて細工の一つ一つが美しいこと!

曖昧模糊としている産育食ですが、ただ1つはっきりしているのは「産育食は継続されるものでないと意味がない」ということ。「楽しく作っておいしく食べて。何度も作っているうちにいつの間にか家族の味になり、子どもに受け継がれ、また次の世代で家族の味になる。そんなイメージです」。

舌の記憶と命の育みが自然と連鎖していくことが小附さんの描く産育食の一つの在り方。自分たちの手掛けた料理が家族の味を生み出すきっかけになればと、要望があればお産入院中のレシピを患者さんに渡したり、作り方のコツを伝授したりすることもあるそう。産育食にまつわるレシピ本を出版しているのも、実践で培った知識やノウハウは惜しみなく世に渡し、1人でも多くのお母さんや赤ちゃんを支えたいとの思いから。「こうやって盛り付けたらおいしく見えるんだとか、薄味だけどしっかり味を感じられるのは出汁が使ってあるからなんだとか。僕らの料理から何かしらヒントを得て、家でも作ってみよう、まねしてみようと思ってもらえたらうれしいじゃないですか」。

また産育食は、必ずしも健全でナチュラルなものでなくてもよいと続けます。母体がそのときに欲している食べ物もまた産育食。妊娠初期にみかんしか食べられなかったとしても、しばしばファストフード店のフライドポテトが恋しくなってもよし。普段はしっかりごはんを作っている人でも、妊娠中は体調が悪い日や面倒な日もあるはず。そんなときはコンビニに頼るのもあり。赤ちゃんを気づかえば罪悪感を覚えるこんな食事も決して否定しないこと。食べることに重きを置き、素直に受け入れてほしいと言います。


産院での産育食

最新の医学的知見と連動し、産育食について独自の研究を行っている「産育食ラボチーム」。管理栄養士などのプロが集結しています。

現在、みらいたべるでは大阪・京都・神戸にある10施設の産院にスタッフが赴き、お産入院中の患者さんに365日産育食を提供しています。メニューは施設ごとのスタッフが現場の空気を感じ取りながらそれぞれに立案。仕入れも一括ではなく、各施設で独自に行うスタイルを貫いてきました。地元の野菜を使ってほしい、だしはきちんと一から取ってほしいといった要望にも柔軟に応じます。労力を惜しまずオーダーメイドのサービスに力を注ぐのは、施設のブランドを損ねてはいけないというプロとしての責任感。「妊婦さんたちはここで生みたいと選んで来られているので、各産院のカラーに添った食事を提供することが僕たちの役割だと思っています」。

小附さんが現場のスタッフたちに常に求めるのは、クリエイターとしての能力や臨機応変な対応力。加えて “笑い”を大事にするよう伝えています。「環境や気持ちは味に表れます。どんなときも笑えるくらい心にゆとりを持っておかないと、料理を作ることが作業になってしまうでしょう。作業から生まれたものはおいしくないですから」。

時には“甘さ”も必要

入院中の楽しみであるおやつ。この日はドライフルーツのシフォンケーキ。甘くふわふわの口当たりにお母さんたちは癒されます。

お産入院中の食事はお母さんたちの大きな楽しみ。季節の行事はひときわ華やかな産育食で盛り上げ、出産という大仕事に挑んだ後は、渾身のお祝いメニューで労をねぎらいます。「入院中はお母さんたちが唯一、上げ膳据え膳でいられる時。家に帰れば大変な育児が待っているのですから、少しでも喜んでもらえてゆっくりしてもらえるといいなと思いながら作っています」。

今、みらいたべるが厨房を任されている産院では、安定した状態にある低リスクの妊婦さんが多いため、厳しい栄養管理は必要ありません。スタッフたちは厚生労働省が定めたガイドラインを頭に叩き込み、基準を大事にした食事づくりを行いながらも、ある程度の緩さはよしとしています。「時には甘いおやつも出しますよ。妊娠・授乳期は控える方がいいと言われている生クリームもちょっとくらいならね」。食べる人を思う心もまた産育食の原点。作り手の気づかいがお母さんたちの心を解き、育児に向かう力を与えています。

レクチャー会での心がけ

依頼があればお産を控えた人たちに産育食のレクチャー会を開催している小附さん。伝えるときには心がけていることがあります。

一つは「大事」という言葉を使わないこと。もちろん、産育食がお母さんの体や新しい命にとって大事であることは確かです。けれども、平易な言葉が時に重たく響くこともあります。「妊娠中の心身ともに不安定なときに、これはすごく大事なんですよ!と言われても頭には入ってきませんよね。強い反発を覚えてしまう人だっているかもしれません」。

もう一つは、栄養バランスを数字だけで説明しないこと。「産前産後の食事は栄養バランスがカギです。でも、鉄は1日に何mg摂取してくださいねと数字で押し付けられたとたん、食事が大層なものになりませんか。忙しい毎日の中では実践もしづらいでしょう」。


栄養バランスは色で伝える

和洋中の多彩なメニューで展開している産院での産育食。野菜をふんだんに使い、目にもおいしいものを提供しています。

では、産育食の目線で栄養バランスの摂れた食事の実践へと妊婦さんを導くなら?「食材の色を意識してそろえましょうと伝えます」。食材の色は栄養素の違いによって分かれているという古くからの考え方に基づき、緑・赤・黄・白・黒の5色に分類。1食の中でこの5色を組み合わせて食べることで健やかな体づくりを目指す方法です。

「ホウレンソウが鉄分の多い食材だと言っても“ばっかり食べ”では体内への吸収が悪いので、ホウレンソウの緑に蒸したり焼いたりした鶏肉の白を加えてシーザーサラダ風にします。ビタミンCを補うと吸収率が高まるため、食べるときには黄色のレモンをたっぷり絞り、同じくビタミンCが豊富な赤いパプリカも加えるとさらにいいですよ、という感じでしょうか。色を意識すると見た目が美しく食欲がわき、栄養面も自然と理にかなってきます」。このように説明されると調理の様子や出来上がりがイメージしやすく、栄養に関する知識がなくてもシンプルに自分の中に入ってきそうです。

レクチャー会は、小附さんにとっても新たな発見の場。お母さんたちの食事情をリアルに知る機会でもあります。ネット上に毎日更新される不確かな食の情報に翻弄されている声が聞こえてきたり、担当医も頭を抱えるほど栄養状態の悪い妊婦さんがいたり。いずれも根っこには食に対して「ねばならない」という頑なな思いがあり、悩みを複雑にしているのではないかと言います。「お母さんたちはあまり難しく考えすぎないで、できるときにできるだけの範囲でやるのが一番。もっと楽に構えていいんです」。

産育食の進む道

なつかしさを漂わせている古民家テイストのトイロニ。おしゃべりに花が咲き、長居するお客さんも多いとか。

トイロニがスタートして数ヵ月。地域の人や男性にも少しずつ関心を持ってもらえるようになり、産育食の可能性に広がりを感じている小附さん。時代の中で食育という言葉が生まれ、社会に寄り添いながら育っていったように、産育食もいつか広く認知される存在になればと願います。

「自分が名づけ親になってみて改めて、なぜ今まで産育食という言葉がなかったのかとつくづく不思議に思います。妊娠から授乳期の食事がそれだけ軽んじられていたということなのかもしれないし、昔はこの時期に食に気を使うのは当たり前のことで言葉にする必要すらなかったということなのかもしれないし。僕の作った造語が伝播し身近になって、まったく知らない誰かが話の中で使ってくれるようになったら、こんなにうれしいことはないですよ。社会の中で産育食にまつわる雇用が生まれるまでに成長したら、本当にすごいなと思います」。

(2017年2月 取材・文 岸本 恭児)