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戦後高級品だったハチミツ

巣箱は手作り。市販のものは板が薄く、北海道へ移動中にミツバチが出てしまうこともあり、厚めの杉の木を使用。

茨木養蜂園は1945年、初代の茨木政一さんによって創業しました。当時のことを、稲田治さんの父で2代目の稲田四弘さんが振り返ります。「うちでは戦争中から親父(政一さん)が趣味でハチを飼っていましてね。それが今の仕事を始めるきっかけでした。戦後すぐに養蜂園を立ち上げたときは、大阪でハチを飼っているところといえばうちくらいしかなかったですね。当時は砂糖が手に入りにくく、甘いものはとっても貴重。ハチミツは一斗缶あたり1万円くらいして、高級品でしたがよく売れましたよ。採蜜の仕方やミツバチの育て方は親父が方々で教えてもらいました。そのうちに夏場はミツバチを北海道へ持って行くといいということがわかり、北海道でもいろんな人に養蜂について教わったようです。基礎ができればあとは自己流。細かな作業は養蜂家によって微妙に違ったりもします」。 

四弘さんは3年前に現役を引退。家業の将来を思い、サラリーマンを辞めて養蜂家となった治さんに道を譲りました。とはいえ、今も現役のころと変わらず元気な四弘さん。シャキシャキと歩いて巣箱を見て回る姿は、とても81歳とは思えません。そういえば養蜂家には長寿が多いという噂も。四弘さんに健康の秘訣を尋ねてみました。「うーん、やっぱり毎日食べているハチミツのおかげかな」。四弘さんは毎日黒酢にハチミツを混ぜて飲むのが日課。コーヒーにもハチミツを加えます。すると味がまろやかになり、ミルクもいらなくなるそう。「料理をするときも砂糖の代わりにハチミツを使っていますよ。砂糖より後口があっさりしていい。ぜんざいに入れると自然な甘さで飽きが来ず、2杯でも3杯でも食べられます」。治さんも同じく、日々の食卓にハチミツは欠かせないと言います。毎日のひとさじで元気を補い、今日も作業に汗を流します。

ミツバチが築いた世界

ミツが詰まっていると巣板は1枚3~4キロほどになります。巣箱の重さもずっしり。

巣箱の中にはミツバチたちが築いた小さな国家が広がっています。群れは1匹の女王バチを筆頭に、働きバチ、雄バチで構成。それぞれに役割を果たしながら集団生活を送っています。働きバチはメスですが、雄バチが精子を提供して卵を産むのは女王バチだけ。女王バチは一番体が大きく、寿命は2~3年ほどです。働きバチは寿命が短く、冬場は3~4ヵ月、夏場はわずか1ヵ月ほどしかありません。

繁殖だけを行う雄バチとは違い、働きバチたちはいつも大忙し。若いうちは巣房の掃除や子育てなどを行い、ある程度成長すると外へと飛び出していきます。ミツバチの飛行距離は直線で3~4km。花のミツや花粉の情報を遠くまで取りに行き、持って帰った情報を仲間たちと共有すると、今度はみんなで目指す場所に向かい、ミツや花粉を巣まで運ぶのです。一度に運べるミツの量は体の半分ほど。花粉は団子状にし、後脚につけて運搬します。こうした作業をほぼ休みなく続けるため、働きバチは短命になってしまいます。花粉やミツを集めない雄バチたちはというと、秋に入り食料が減ってくると巣から追い出されて死んでいきます。女王バチも卵を産めなくなるとお払い箱。すぐに次の新しい女王バチが誕生します。ミツバチたちは高度な知能を備え自然と闘いながら、上下関係の厳しい社会の中で暮らしているのです。

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