茨木養蜂園

スプーン1杯がパワーを運んでくれるハチミツ。健康維持のために食べるだけではなく、医療が発達していなかった時代の西洋では、薬として用いられていました。ハチミツには殺菌・消毒効果や炎症を鎮める効果があるとされ、良薬として家庭での治療にも重宝されています。1年を通してミツバチとともに暮らし、ハチミツを自家採取している大阪の養蜂家のもとを訪ねました。

茨木養蜂園

大阪府交野市私市山手3丁目2-2 072-892-4132
昭和25年創業。戦後、大阪で唯一となった専業養蜂園。4月から6月にかけては大阪府北東部の交野市にて生駒山系付近の花のミツを採取。6月中旬からは巣箱を持って北海道へと渡り、11月までミツを採取しながらミツバチの育成に勤しむ。無精製で無添加、自然が育んだ純粋な甘さは、一度食べたらやめられないと人気。茨木養蜂園が経営する喫茶がんびでは、ハチミツを使ったハニートーストやハニーレモンを食べることができる。

豊かな自然の恩恵

ハチたちの巣箱を設置するのは、自然豊かな畜産団地の一角です。

目に映る緑が日に日に鮮やかさを増し、鳥や虫たちが春の訪れを告げる4月上旬。「今日巣箱を見に行ってみたんですがね、明日あたり採蜜をしようかと思っているんですよ」。そう連絡を下さったのは、茨木養蜂園の稲田治さん。大阪府交野市で、大阪で唯一となった専用養蜂園を営んでいます。

うららかな陽気に心を弾ませ、細い山道を車で行くこと数十分。たどり着いたのは大阪と奈良の県境。人里離れたところにある畜産団地です。生駒山系に位置し、四季折々の花や草木などが自生しています。自然豊かなこの場所は、養蜂を行うには最適な環境。稲田さんは敷地の一角を借り、毎年春から梅雨前まで20箱ほどの巣箱を設置して、桜、アカシア、ハゼ、百花などのミツを採取します。養蜂家の仕事は花の開花具合と天気次第。一度ミツを採ると次が採れるまでには1週間から10日ほどかかります。その間は5ヵ所に設置した巣箱の世話をするのが稲田さんの主な仕事。「どのくらいで採蜜するかはタイミングが肝心。あまり待ちすぎるといろんな花のミツが混じって、ハチミツの味が落ちてしまうんですよ」。ミツの溜まり具合や幼虫の生育状況を見極め、採蜜作業を行う日を決めます。

ミツバチの一生懸命な働きを見ていると、恐怖心も薄れてなんだかかわいらしく見えてきます。

「質の良いハチミツが採れるのは、私たちが優秀なのではなく山が優秀だから」と稲田さんが言うように、養蜂業はどこに巣箱を置くかがとても重要。春になれば次々と多種多彩な花々が咲き誇るこのような場所は、大阪府内でも大変珍しいそうです。巣箱のすぐそばにあるソメイヨシノは、間もなく満開の時を迎えようとしていました。静かに近寄って耳を澄ますと、ブンブンという羽音が聞こえてきます。ミツバチたちが花から花へとせわしく行き交い、懸命にミツや花粉を集めていました。


戦後高級品だったハチミツ

巣箱は手作り。市販のものは板が薄く、北海道へ移動中にミツバチが出てしまうこともあり、厚めの杉の木を使用。

茨木養蜂園は1945年、初代の茨木政一さんによって創業しました。当時のことを、稲田治さんの父で2代目の稲田四弘さんが振り返ります。「うちでは戦争中から親父(政一さん)が趣味でハチを飼っていましてね。それが今の仕事を始めるきっかけでした。戦後すぐに養蜂園を立ち上げたときは、大阪でハチを飼っているところといえばうちくらいしかなかったですね。当時は砂糖が手に入りにくく、甘いものはとっても貴重。ハチミツは一斗缶あたり1万円くらいして、高級品でしたがよく売れましたよ。採蜜の仕方やミツバチの育て方は親父が方々で教えてもらいました。そのうちに夏場はミツバチを北海道へ持って行くといいということがわかり、北海道でもいろんな人に養蜂について教わったようです。基礎ができればあとは自己流。細かな作業は養蜂家によって微妙に違ったりもします」。 

四弘さんは3年前に現役を引退。家業の将来を思い、サラリーマンを辞めて養蜂家となった治さんに道を譲りました。とはいえ、今も現役のころと変わらず元気な四弘さん。シャキシャキと歩いて巣箱を見て回る姿は、とても81歳とは思えません。そういえば養蜂家には長寿が多いという噂も。四弘さんに健康の秘訣を尋ねてみました。「うーん、やっぱり毎日食べているハチミツのおかげかな」。四弘さんは毎日黒酢にハチミツを混ぜて飲むのが日課。コーヒーにもハチミツを加えます。すると味がまろやかになり、ミルクもいらなくなるそう。「料理をするときも砂糖の代わりにハチミツを使っていますよ。砂糖より後口があっさりしていい。ぜんざいに入れると自然な甘さで飽きが来ず、2杯でも3杯でも食べられます」。治さんも同じく、日々の食卓にハチミツは欠かせないと言います。毎日のひとさじで元気を補い、今日も作業に汗を流します。

ミツバチが築いた世界

ミツが詰まっていると巣板は1枚3~4キロほどになります。巣箱の重さもずっしり。

巣箱の中にはミツバチたちが築いた小さな国家が広がっています。群れは1匹の女王バチを筆頭に、働きバチ、雄バチで構成。それぞれに役割を果たしながら集団生活を送っています。働きバチはメスですが、雄バチが精子を提供して卵を産むのは女王バチだけ。女王バチは一番体が大きく、寿命は2~3年ほどです。働きバチは寿命が短く、冬場は3~4ヵ月、夏場はわずか1ヵ月ほどしかありません。

繁殖だけを行う雄バチとは違い、働きバチたちはいつも大忙し。若いうちは巣房の掃除や子育てなどを行い、ある程度成長すると外へと飛び出していきます。ミツバチの飛行距離は直線で3~4km。花のミツや花粉の情報を遠くまで取りに行き、持って帰った情報を仲間たちと共有すると、今度はみんなで目指す場所に向かい、ミツや花粉を巣まで運ぶのです。一度に運べるミツの量は体の半分ほど。花粉は団子状にし、後脚につけて運搬します。こうした作業をほぼ休みなく続けるため、働きバチは短命になってしまいます。花粉やミツを集めない雄バチたちはというと、秋に入り食料が減ってくると巣から追い出されて死んでいきます。女王バチも卵を産めなくなるとお払い箱。すぐに次の新しい女王バチが誕生します。ミツバチたちは高度な知能を備え自然と闘いながら、上下関係の厳しい社会の中で暮らしているのです。


そっと開いた巣箱の中は

「この仕事は毎年答えが違います。今年と同じように来年も行くとは限らないのが難しいところですね」と稲田さん。

取材に訪れたのは、今シーズン最初の作業である掃除採蜜を行う日。掃除採蜜とは、越冬のためにミツバチたちが蓄えていたハチミツやえさとして与えたハチミツをいったん空にし、巣をつくりやすい環境に整え、新しいハチミツが溜まりやすくする作業のことです。巣箱に近寄るときは、ミツバチたちの攻撃に備えて全身を完全防備。面布付きの帽子をかぶり、長袖、長ズボン、手袋、長靴の着用が必須です。ハチの種類の中でも比較的おとなしいとされるミツバチですが、薄手のシャツならその上から容赦なく刺してきます。稲田さんも、不意に脇腹をやられたことがあるとか。万が一刺されてアナフィラキシーショックを起こすと、場合によっては死に至る危険もあるため油断はできません。

巣を垂らしているのはミツバチたちの勢いが良い証拠。規則正しく卵を産んでいるところも元気が良いという証。

ミツバチたちを刺激しないようにそっとふたを開けた稲田さんは、すかさずくん煙器でシュッシュッと煙を吹きかけました。煙にはミツバチを落ち着かせる効果があり、くん煙器は作業をスムーズに進めるために欠かせない道具です。「巣箱を開けたときにブンブンと騒ぐのは、ミツバチの数が少ないか女王バチが不在、もしくは調子が悪いということ。静かだと、ミツバチの数が多く女王バチもしっかりしていて元気ということなんです。こういう巣箱は全体の統制がとれているので、ミツバチたちが上手に働けています。ミツの量も多いですよ」。

巣箱の中に入っているのは9枚ほどの巣板。そのうちの1枚を稲田さんがゆっくりと取り出しました。表面にはびっしりとミツバチが張り付いています。2、3度上下に振ったりハチブラシでミツバチを払い落とし、巣の状態をじっくりと観察。「うちの親父はベテランなので、巣板を2、3枚触っただけで巣箱全体の様子がわかります。私はまだまだ。1枚ずつ見ていかないといけないので、どうしても時間がかかっちゃいますね」。その間、ミツバチたちは敵がやってきたと攻撃を開始。稲田さんに向かって体当たりしてきます。「最初は誰もが怖がりますが、慣れてくるとかわいいもんですよ」。成長を見守ってきたミツバチたちにやさしく触れる手から愛情がうかがえます。

移動養蜂家の1年とは

巣板に付いた蜜ろうをそぎ落として遠心分離機へ。トロリと流れ出たハチミツはまじりけのない濃厚な味わい。

養蜂家には同じ場所でミツを採る定置養蜂家と、四季ごとに花の咲く場所を追って日本中を移動する移動養蜂家の2種類があります。稲田さんは移動養蜂家。春が過ぎ、大阪での採蜜を終えて6月中旬になると、毎年250箱ほどの巣箱を大型トラックに乗せて北海道へと向かいます。「移動のための準備が養蜂家にとって一番大変な仕事」とこぼす稲田さん。ミツバチに負担がかからないよう手早く準備を終え、寝る間も惜しんで車を走らせます。24時間以上かけて現地に着くと、すぐに巣箱を下ろして許可を得た所定の場所へ設置。作業は徹夜になることもあるそうです。夏場は家族と離れて暮らし、北海道でアカシアなどからミツを採取。11月には再び大阪へと戻ってきます。本格的な冬を前に巣箱の中の環境を整え、府内の温かい地へ巣箱を移動。1、2月になるとミツバチたちは巣の中でじっとおとなしくし、越冬期に入ります。女王バチも産卵をしないのでえさは最小限。掃除採蜜で採ったミツを与えながら春を待ちます。


ミツバチ周辺の環境の変化

巣箱の中と外を慌ただしく出入りするミツバチたち。午後からは気温が上昇し、活動もより活発に。

長年、移動養蜂家をやってきた稲田さん親子が最近危惧していること。それはミツバチの周辺に起こっている環境の変化です。「これまで北海道にはほとんどいなかったスズメバチが北上してきて、気温の上昇とともに増えています。ミツバチにとってスズメバチは天敵。駆除機をつけないとあっという間にやられてしまいます。急速に勢力を拡大しているツマアカスズメバチも脅威。今は九州で勢力をとどめてはいますが、今後どうなるかわかりません。スズメバチは繁殖力が高いのでその分えさが必要。ミツバチはそのターゲットになってしまうんです」。さらに、原因が定かではない伝染病も広がりをみせています。一節には農薬の影響を受けているのではないか、またダニが媒介しているのではないかとも言われており、ミツバチを守るためにはさまざまな対策が必要となってきました。

一方で花にも異変が起こっています。日本の気候に寒暖差がなくなってきていているせいで四季がはっきりしなくなり、北海道でのアカシアの開花時期がどんどんと早まっています。昔から人気のレンゲハチミツも、田畑が減って自生するレンゲの花が激減したことで、だんだんと採れなくなってきているそうです。稲田さんが巣箱を置いている畜産団地ではソーラーパネルの設置が急速に進み、自然を踏み荒らしています。昨年まであったアカシアの木も何本か切られてしまったと、稲田さんは残念そうに山を見つめました。

「まぜもんはしない」という家訓

希少なハチミツは、喫茶かんび横の店頭で購入することもできます。

最近は健康志向の人が増えてハチミツへの関心が高まり、市場にも動きが出てきました。昔と大きく違うのは、味や香りのバリエーションが格段に増えたこと。買い手側は選ぶ楽しみが広がりました。街中にはハチミツ専門店がみられるようになり、ハチミツ専用の棚を設けるスーパーもあります。アルゼンチンやカナダなど、温帯や亜寒帯地方を中心に、世界中でつくられているハチミツ。生産量のトップは中国で、他国に比べると群を抜いています。日本にも中国産のハチミツが年間3万トン以上輸入されており、日本での流通量の約8割を占めるほど。国内で採れるハチミツの量には限りがあるため、高まるニーズに応えるには輸入に頼らざるを得ないのが現状です。また、日本におけるハチミツの商品表示は明確ではなく、なかには輸入した安価なハチミツと国産のハチミツを混ぜて販売してところも。このような行為は業界全体の信用を下げることにもなりかねません。

茨木養蜂園では、「まぜもんはしない」というのが先祖代々引き継がれてきた家訓。質を下げてまで売り上げに執着しないという教えを、稲田さんも守っています。「うちは昔から1年かけて採った分を小売りしています。大々的に売ることができればもっと利益も上がるとは思いますが、そんなに量は採れないですし、大手に売ってしまうと商品はすぐになくなってしまいます。なくなった分は他から補充してこないといけなくなるでしょう。自家採取以外のハチミツを売ることは家訓に背くこと。じゃあ単純にミツバチの量を増やせば採れる量も増えるんじゃないかと思われるかもしれませんが、増えた分だけミツバチの手入れが行き届かなくなります」。自分たちのできる範囲でお客さんにうそのない商売をすることが稲田さんのポリシー。作り手たちのまっすぐな思いと、ビンに詰まった透き通るような味わいこそ、茨木養蜂園のハチミツが長く愛されてきた所以です。

(2016年4月 取材・文 岸本 恭児)