小金屋食品

栄養価に優れた日本人の国民食「納豆」。しかし個性的な味と香り、特有の粘りが苦手という人も多く、特に納豆嫌いが多い関西ではなかなか浸透しづらい食品です。それでも1人でも多くおいしさを届けたいと、納豆づくりに勤しむ小さな会社が大阪にあります。

小金屋食品

大阪府大東市御領3-10-8 075-441-1121
http://710-bar.co.jp
大阪で半世紀以上に渡り納豆一筋に製造。納豆が苦手な人が多い関西でも受け入れられやすいようにと改良を重ねた味は、くせがなく上品。国産の上質な大豆にこだわり、化学調味料不使用のたれを付属するなど、子どもから年配の方まで安心して食べられるよう配慮されている。トッピングのバリエーションを広げ新しい味わい方を提案し、環境にやさしい深型紙カップを採用。また、納豆とは思えないオシャレなパッケージを展開するなど、女性消費者を意識した商品開発も盛ん。真摯な姿勢で納豆づくりに取り組み、納豆不毛の地と言われる大阪で躍進を続けている。

健康には良いけれど…

小金屋食品が建つ周りには町工場が並びにぎやか。小さく掛かった看板が唯一の目印です。

納豆はカルシウムやビタミン、マグネシウムなど、人間が必要とする栄養素をバランス良く含む優れた発酵食品です。古くから健康に良い影響を与えることが注目されており、食べる万能薬としてその実力は言わずと知れたこと。腸の働きを整えスムーズなお通じをサポートしてくれるのはもちろん、美肌・美髪効果やアンチエイジング、疲労回復や免疫力を高めることにも一役。また、納豆にしかない栄養成分であるナットウキナーゼとビタミンK2には、近年関心が高まっています。血液をサラサラにしてくれるナットウキナーゼは動脈硬化を抑制する働きや成人病の予防にも有効なのではと期待され、ビタミンK2は丈夫な骨づくりを助けてくれるとも。このように、納豆の健康効果は挙げればきりがありません。しかしその一方で、においが強くネバネバとした独特の食感から好き嫌いがはっきりと分かれてしまう食品。関東と比べると関西は納豆嫌いの傾向が強く、なかでも大阪は昔から納豆不毛の地と言われていました。

厳選素材とこだわりの製法

付属のたれやネギ、うずら卵をカップに入れたりふたをする作業まで、一つ一つ丁寧に人の手で行うのがポリシー。それぞれの持ち場で黙々と働く姿が印象的です。

そんな大阪で50年余り納豆づくりを続けてきた会社があります。小さな町工場が立ち並ぶ中に、ひっそりと看板を掲げる小金屋食品。扉を開けると、立ち込めていた納豆のにおいが鼻をくすぐります。作業場でテキパキと働くのは9人の女性たち。男性の姿は見当たりません。「当社は今、女性しか採用していないんです。女性は作業が丁寧。男性なら見過ごしてしまうような不良品でも細かく見てくれますし、何より気が利きます。時間内で効率よく働いてくれるのもありがたいですしね」と話すのは、二代目社長の吉田恵美子さん。先代だった亡き父親の意志と技を受け継ぎ、忙しい毎日を切り盛りしています。
小金屋食品の納豆づくりは、工程のほとんどが手作業。そのため、1日3,000~3,500食作るのが限界だと言います。原材料は国産の上質な白大豆を厳選。「大粒、小粒、ひきわりとそれぞれに産地は違いますが、白大豆以外は使いません。黒大豆や青大豆も試してみたことはありますが、糸引きや味を比べると白大豆が一番。これに勝るものはないと思っています」。仕込みは大豆を洗って水に漬け、水分をしっかりと含ませるところから始まります。大豆が十分に水分を含んだところで大きな圧力釜に入れ、煮豆のように軟らかくなるまで蒸し煮。煮あがったら納豆菌を混ぜていきます。納豆菌は無味無臭で無色透明の液体。既定の分量に希釈して、大豆全体に行き渡るよう噴霧します。このとき、しっかりとまんべんなく納豆菌を振ることが良い納豆に育てるコツ。容器に充填したら発酵室に移し、19時間ほどかけてゆっくりと発酵させていきます。糸を引くようになったら冷蔵へ。冷やすことで味がぐっと締まり、小金屋食品自慢の納豆が完成します。


自慢の納豆に合う絶品たれ

納豆本来の風味を損なわないよう、あえてからしを付けていないのも、味への自信の裏付けです。

小金屋食品の商品のパッケージに目立つ「大阪納豆」の文字。あえて大阪と記したところに、大阪生まれ大阪育ちの味に対する責任と自信が垣間見えます。「当社の商品は大阪の人の口に合うよう、さまざまな創意工夫を重ねてきました。一番こだわっているのは大豆の軟らかさ。関東や東北の納豆はちょっと固めな仕上がりですが、大阪人は軟らかいものを好むので、しっとりとソフトな食感にしています」。付属のたれにも大阪らしさを追求。「たれは納豆の味を引き出す大事な調味料ですが、関東のメーカーのものはしょうゆの味が強すぎ。関西人には不向きです。たれの味が主張しすぎず、うちの納豆の風味を最大限に引き立ててくれるものを求めて、醸造屋さんと何度も試作を行いました」。ようやく出来上がったのは、まろやかなだしの風味が香り塩味を抑えた白しょうゆたれ。化学調味料を嫌うお客さんの声も反映させて、無添加に仕上げました。さらに、たれの量にも注目。「関西人はパサパサとした口当たりが嫌い。納豆もしっかりとたれが絡んだ"つゆだく"じゃないとダメだという人が多いんです。そこで一般的なメーカーのものよりはやや多めの分量にして、納豆の量の1割以上と決めています」。実際に小金屋食品の納豆に付属のたれをかけてみると、確かに一粒一粒を十分にたれが覆ってしっとり。なめらかな口当たりに箸がすすみます。試行錯誤の末に完成したたれは、お客さんから大好評。たれだけをまとめて分けてほしいという要望も寄せられました。そこでたれを瓶詰にして販売を開始。納豆にかけるだけでなく料理に使ったりと、万能調味料として重宝されているそうです。

見た目とトッピングにも個性

先代からの納豆づくりの技は受け継ぎつつも、見た目や味に女性目線をプラスし、時代に則した変化をはかりました。

小金屋食品のこだわりは味だけでなく、見た目にも選ばれやすい工夫が施されています。スーパーに並ぶのは三段重ねのプラスチック容器が主流。しかし、お客さんからは「食べるときにプラスチック臭が気になる」「3パックは食べきれず、冷蔵庫の中でダメにしてしまうことも多い」という声が聞こえてきました。そこで、人にも環境にもやさしい紙カップに変更。多少贅沢でも1食で満足してもらえるものをと、個食を意識した食べきりサイズも販売することに。また、一部の商品にはうずら卵や刻んだ青ネギも包装し、納豆を食べる際の手間や不便にまで気を配りました。「納豆のトッピングとして人気なのは青ネギと卵。でも納豆を食べるためだけにわざわざ青ネギを刻むのは手間なんですよね。卵も鶏卵1個を入れてしまうと多すぎて糸引きが悪くなってしまいます。卵黄だけ入れると卵白を捨てるのはもったいないし、かといってうずら卵を常備するのも面倒でしょう。だったら私たちがその手間と面倒をカバーしようと考えました」。生活目線に立った発想は主婦でもある吉田さんならでは。またこうしたアイデアをすぐに商品化できるのは、小規模製造元ならではの強みだと言います。

同社のヒット商品の一つである「納豆BAR小金庵 粋シリーズ」。これも吉田さんの女性らしい視点から生まれました。カラフルな帯を巻いた紙カップは、一見するとまるでスイーツのよう。催事などでは見た目を生かし、ケーキのショーケースに入れて販売することを提案しました。また、選ぶ楽しみもプラス。大豆は大粒、小粒、ひきわりの3種類を用意し、トッピングも6種類からお客さんが自由にチョイスすることができます。味は泉州産のタマネギをすりおろしたものや寝屋川産の青紫蘇をペーストにしたもの、堺の手すきおぼろ昆布など、地元の特産品をアレンジしユニーク。このような好奇心をくすぐる仕掛けが女性客を中心に多くの関西人の心を惹きつけています。


苦労が続いた納豆づくり

「納豆BAR小金庵 粋シリーズ」は華やかなパッケージと斬新な味で、贈答用としても人気があります。先代からの納豆づくりの技は受け継ぎつつも、見た目や味に女性目線をプラスし、時代に則した変化をはかりました。

日本一の納豆の生産地といえば茨城県。関東地方や東北地方が消費地のトップを占め、関西地方や西日本の消費量は多いとは言えません。ではなぜ、小金屋食品は大阪で納豆づくりを始めることになったのでしょうか。
創業者である吉田さんの父・小出金司さんは山形県の出身。幼いころから食べ慣れた納豆の味に惚れ込み、納豆文化の薄かった関西でも広めたいと、昭和26年に16歳で単身大阪へ。その当時大阪に1社しかなかった納豆工場に丁稚として奉公し、独立を夢見て厳しい修行を積みました。昭和36年、現社の前身にあたる小金屋商店をオープン。しかし、納豆を生産するための設備が整えられなかったため、最初は漬物や味噌を売って生計を立てていました。その傍らでコツコツと作り続けたのがわら納豆。一つ一つ丁寧にわらをゆわき、こたつを使って発酵・熟成させて販売していたそうです。昭和42年、長年の夢が叶い、ついに納豆工場を設立。山形納豆の名を掲げた商品に故郷への想いを重ね、大阪人の舌にも馴染むようにと必死に味を模索しました。そんなあるとき、突然不運が襲います。地道な努力の甲斐もあり、少しずつお客さんが増え始めたころ、火事で工場が全焼。まさかの事態に一瞬目の前が真っ暗に。しかし苦難を乗り越え、現在の場所に工場を再建したのは、それからわずか1年後。小金屋の納豆を待つお客さんに早く商品を届けたい一心で、金司さんは前へと突き進みました。

亡き父の想いを引き継いで

稲わらに包まれた納豆は、関西では珍しい商品。わらを解くと大粒の納豆が顔をのぞかせます。

納豆づくり一筋で職人気質だった金司さん。勘と経験だけで仕込むわら納豆の味は金司さんでしか出せないと、創業以来その製造を一手に担っていました。そのため、晩年金司さんが病に倒れたときはレシピすら残っていない状態。味だけは製造を支えていた金司さんの妻が記憶していたものの、詳細な作り方は誰にもわかりません。元気になることを信じ、病床でもずっと納豆のことを気に掛けていた金司さん。「早く現場に戻って新しい納豆を作りたい」とばかり口にしていたそうです。「最期に父が言い残した言葉が『もう一個作りたい納豆があるんや』でした。それが何なのか具体的なことは話しませんでしたが、思いを巡らしてみると、父の想いは原点の納豆づくりにあるんじゃないかと。小金屋はわら納豆から始まったので、それなら残された私たちが本格的なわら納豆を作ってみようと決心したんです」。金司さんの情熱は吉田さんたちに引き継がれ、新たな挑戦が始まることとなりました。


なにわら納豆の誕生

「なにわら納豆」はそのままでも濃厚な味が楽しめますが、塩を振ると、大豆の甘みがより一層引き立ちます。

金司さん亡き後、平成15年に仕事を手伝うこととなった吉田さん。納豆づくりの知識はなかったため、まずは簡単な事務仕事を手伝うところからスタートしました。しかし事務所にはパソコンすらなく、取引先とは手書きかファックスでのやりとり。今の時代こんなアナログではダメだと、少しずつ父親のやり方を変えていくことにしました。実務に追われながらも、脳裏をよぎるのは父親の最期の言葉。「加工されたわらを入手するルートはすでに確保されていましたが、製造方法については方々を調べ尽し、とにかく手探りでやってみるしかありませんでした。でも作っては失敗、作っては失敗の繰り返し。1年近く試作を重ねてやっと納得のいく味と糸引きになり、完成したと思ったら、今度は菌検査で引っかかってしまって。これはわらの消毒に問題があると、衛生面を一から見直すことになったんです」。構想から3年弱。試行錯誤の末、関西では珍しい稲わらに包んだ納豆「なにわら納豆」が誕生しました。これが後に多くの人の心をとらえ、会社を大きく成長させる看板商品へと成長していきます。

大阪の味と認められ

百貨店の催事などではガラスのショーケースで販売。「スイーツかと思った」と驚くお客さんも多いそう。

なにわら納豆は濃厚な大豆の旨みと深みのある味わい、芳醇な香りが特徴です。味の生命線は稲わらに自生する天然の納豆菌。それを独自の方法で引き出し発酵させる昔ながらの製法で手作りしています。温度を抑えて長時間発酵することにより、素材本来の持ち味もぐんとアップ。芳香なわらの香りがほんのりと納豆に移っていることも独特の味わいを高めています。さらに特筆すべきは秀でた栄養価。自社調べでは天然の納豆菌は培養の納豆菌の2.5倍の数であることがわかっており、普通の納豆より一層健康面で実力を発揮してくれることも吉田さんたちは身をもって実感しています。

ようやく完成したなにわら納豆を手に商談に回った吉田さん。しかし最初は苦戦を強いられました。「関西人にとってわら納豆は親しみの薄い食品なので、どこに行っても『こんなもん売れるわけがない』と門前払い。作っては廃棄処分する辛い毎日が続きました。それでも百貨店の催事や直売会で試食してもらううちに、じわじわとお客様に認めてもらえるようになりました」。評判を聞きつけたメディアが次々となにわら納豆を取り上げたことも後押しし、徐々に知名度を拡大。2014年に「大阪産名品」に認証され、続けて「大阪産PR大使賞」を受賞し、名実ともに大阪を代表する味となりました。

納豆が主役の食卓を

くせの少ないなにわら納豆は、バターやビスコッティといった意外な商品にもアレンジされて好評を得ています。

日々苦労が絶えない納豆づくり。それでも、お客さんから届く喜びの声が吉田さんたちの頑張りを支えています。「あるお客様から、『ずっと探していた納豆にようやく出会えました。死ぬまでに食べることができて本当に良かったです』と言われたときは本当にうれしかったです。今まで作ってきて良かったとつくづく思いました」。

納豆のさらなる発展へ向けて、吉田さんの熱い思いは尽きることがありません。「今は食卓のサブ的存在ですが、今後はメインになれるものを意識した商品づくりができたらと。ちょっとしたひと手間で、あっと驚くアレンジ料理に変身させることもできますし、新しい味わい方を提案していくのも私たちの役目だと思っています。納豆のイメージを覆す商品をこれからも発信し続けていきたいですね」。 2016年2月には大阪市内に待望の納豆BAR小金庵の直営店がオープン。新店を足掛かりに、その勢いにはさらなる拍車がかかりそうです。

(2015年12月 取材・文 岸本 恭児)