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「麩饅頭」が誕生したのは

職人達の手際は見とれるほど鮮やか。「手際が良くないとすっきりしたものはできない」と小堀さん。

粟(あわ)のプチプチとした食感が楽しい粟生麩や、自然の蓬(よもぎ)を加えて、香りと鮮やかな色を加えた蓬生麩は昔からの伝統的な味。このほかにも麸嘉では毎日数々の商品が作られています。
その代表格が麩饅頭。観光客にも人気が高く、今では京都を代表する銘菓の一つに数えられています。しかしその歴史がまだ浅いことは、意外と知られていません。麩饅頭が誕生したのは、実は明治天皇のご発案。もともと麩がお好きだったことから、命を受けて麸嘉が作り、献上したのが最初と言われています。1つずつ手作業で丁寧に包まれた笹の葉を解くと、生麩の生地に川海苔を混ぜてほんのりと青味を帯びた饅頭が顔をのぞかせます。中にはあっさりと炊き上げた丹波大納言の自家製こしあんがたっぷり。ひと口頬張ると、なめらかなあんとしっとりとした生地がつるりと喉を通り、体の中を涼やかさが駆け抜けていきます。暑い夏を乗り切る涼菓子として、明治天皇もさぞかし楽しみに口にされていたことでしょう。

こちらが、グルテンをふかし、味をつけて油で揚げた利休麩。見た目も肉にそっくり。

ふと仕事場の隅に目をやると、気になる茶色の丸いものを発見。これは何かと小堀さんに尋ねてみました。「グルテンをふかし、しょうゆ、みりん、昆布だしで炊いたものを油で揚げたもので、精進料理などで使われる肉の代用品です。下味がしっかりとついているので、脂抜きをしてそのまま食べたり、白和えに入れたりすることが多いんですよ」。見た目はまるで肉の塊。ひと口食べてみると弾力があり、その味わいは独特。味気なさを感じがちな精進料理の中で、満足感を与えるために生まれた食材なのだそう。ここにもまた、日本人ならではの食への感性や知恵が活きています。

生麩が京都で親しまれたわけ

良質な水が豊富にあってこその、生麩作りです。

生麩は日本で親しまれ発展した食べ物ですが、そのルーツをたどると中国にたどり着きます。なぜ日本に伝わったのかは諸説あり、一説には南朝時代に南宋滅亡期の混乱を逃れた禅僧たちにより広まったとも言われ、精進料理や茶懐石に重宝されるようになりました。特に製造が盛んだったのは京都と加賀。日本人の口や料理に合うよう試行錯誤が重ねられ、明治時代に入ると一般の食卓にものぼるようになります。京都に麩屋町と呼ばれる界隈があるのは、かつて麩屋が軒を連ねていたことに由来するとか。それほどまでに京都で生麩が受け入れられたのには、宗教の影響が大きいと小堀さんは解きます。「生麩は主張の少ない食材です。仏教的思想の中に組み込まれた食材は、豆腐や湯葉も同じく、決して前に出すぎるものはいけないとされていたのでしょう。淡々と生きるという教えが食にもつながっているのではないかと思います」。

麩饅頭は笹で包む最後の工程へ。女性スタッフの手により、一つ一つ丁寧に作られていきます。

また一方で、京都は良質な地下水に恵まれた地だったからこそ、澄んだ味わいの生麩が生まれて人々に愛されたという見方もあります。小堀さんいわく、生麩は7割近く、麩饅頭にいたっては7割以上が水でできており、水の質がそのおいしさを左右するといっても過言ではありません。麸嘉では水道水には一切頼らず、昔から敷地内にこんこんと湧き出る井戸水を使用しています。「素材の一つとして使うのも生麩を冷やすのも、うちは必ず井戸水。京都で作る食べ物に地元の水を用いることで、京都でしか食べられない味を出しています」。仕事場では手を洗ったり調理台を清潔に保つのにも使われ、小堀さんが「これがないと生麩は作れない」と言い切るほど、なくてはならない存在です。

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