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地域を支えた南高梅の誕生

傾斜地で育った月光農園の梅は、彩度が高く皮は薄く、果肉がふっくらしているのが特長。

地域世帯の約9割が梅を栽培し、みなべと梅作りは今では切っても切れない間柄。梅作りが地域の産業としてこれほどまでに発展を遂げたのには、契機となった出来事があります。江戸時代、痩せ地で作物が育たないことに悩んでいたみなべや田辺の農民たち。その生活は苦しくなる一方でした。そこで田辺藩主・安藤帯刀は、家々の周りに植わっていたやぶ梅に着目。梅栽培を行えば租税を免じると奨励しました。農民たちはこぞって梅を育てるようになり、どんどんとやぶ梅作りが広がっていくことになります。月向さんの先祖も時の流れに習い、知人から譲り受けた月向山を開墾し、梅の樹を植えて栽培を始めました。

その歩みのなかで登場したのが南高梅。昭和20年代、農家ごとに育てていた梅の品種を統一しようという動きがありました。数ある梅の中から選りすぐったところ、最優良品種に認められたのが高田家の梅。それを南高梅と名付けたのがブランド梅の始まりです。「南高梅が品種登録されたのはうちの親父の時代で、今から50年前になります。当時、これはすばらしい品種だと梅農家の間で話題になりました。梅はそれまで実生苗と言って種をそのまま土に植えて成長させていました。同じ方法で南高梅を育てるとどんな異質なものが現れるかわからないと、親父が接ぎ木繁殖させるようになったんです。それで一気にみなべと田辺に梅園の面積が増えました」。南高梅の誕生がなければ、梅作りに今のような発展はなかったと月向さんは言います。

かつお梅がもたらした革命

出来上がったばかりの梅干し。爽やかな香りがあたりに広がります。

月向さんの父はその後、梅の選果機を独自に開発し梅農家が次々と導入。アナログだった作業の効率化が進んだことも、地域産業のさらなる躍進につながりました。このように、最優良品種の誕生と作業体系の進化によって、みなべと田辺の梅作りは大きな転換期を迎えることとなります。

そこにまた追い風となったのが、かつお梅の登場です。梅干しにかつおの旨みをプラスした商品は、あっという間に消費者の心を掴み、爆発的なヒットを飛ばしました。これがきっかけとなって梅干しの味に革命が起こります。旨みと甘みが調整された調味梅干しは、これまでの「酸っぱくてしょっぱいもの」という概念を覆し、新たなファン層を確立。ふくよかでやわらかな味わいのある一粒に価値を見出した人も多く、いつしか紀州の梅干しは贈答用として重宝されるようになりました。「私たちが意図したわけではないのですが、さまざまな上昇運気が重なって紀州梅のブランド化が進んだのだと思います」。

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