奈良県高山茶筌生産協同組合

奈良県の生駒市高山は、全国唯一の茶筌の里。500年余り続く伝統工芸の技を現代へ受け継ぎ、未来へと引き継ぐために、職人たちが日々研鑽を重ねています。

奈良県高山茶筌生産協同組合

奈良県生駒市高山町 0743-71-3808
http://takayamachasenkumiai.com
高山茶筌の伝統を守り、次世代への継承を目的として設立された組合。
昭和50年に高山茶筌が通商産業省の伝統工芸品の指定を受ける。現在は伝統工芸士による若手後継者への技術指導、小学生・中学生の伝統的工芸品体験や実演による教育事業のほか、高山茶筌の名を広めるためのPR事業にも積極的に取り組んでいる。

◆まめ知識:茶せんは「茶筌」「茶筅」どっち?

茶せんの字は「茶筅」が一般的ですが、高山では「茶筌」の字を使っています。もちろんどちらも「ちゃせん」と読むことに間違いはありませんが、筅は「ささら」とも読みます。これは洗い物をするときに使う竹製の簡素な道具を指し、職人が丹精込めて作り上げた高山茶筌のイメージとはかけ離れたもの。高山茶筌はあくまでも茶道具です。職人たちが熟練の技を集結させて生み出す「作品」としての意味合いを高めるために、あえて「筌」の字が使われているのです。

約500年変わらぬ製法を継承

谷村さんは、寒干し後の淡竹を茅葺き屋根の中で貯蔵。適度な湿度を保ち風が通る環境が素材を育てるのに適しているそう。

奈良県生駒市の北端に位置する高山町。豊かな自然が広がる静かな谷合の地は、約500年もの歴史を持つ伝統工芸品「高山茶筌(たかやまちゃせん)」の産地として知られています。茶筌とは抹茶を点てるときに欠かせない茶道具の一つ。その原型は、室町時代にまでさかのぼります。

鷹山城主の次男である鷹山民部丞宗砌(たかやまみんぶのしょうそうせつ)は、茶道の考案者である村田珠光(むらたじゅこう)と親交がありました。あるとき宗砌は珠光からの依頼を受けて、抹茶を撹拌するための道具を作ることに。日々試行錯誤を繰り返し、ようやく出来上がったのもが茶筌の始まりと伝えられています。その後茶道は千利休によって確立され、その隆盛とともに茶筌の需要も高まっていきました。

室町時代より一つ一つ職人による手仕事で生み出されてきた高山茶筌。その技法は秘伝とされ、高山の地で一子相伝により脈々と受け継がれてきました。昭和50年前後、茶道は全盛期を迎え、茶筌業者は45軒にまで拡大。しかし、ピーク以降は茶道人口が年々低下し、茶筌業者数も19軒にまで減少しています。それでも高山では年間30万本ほどを生産し、国内生産シェア90%以上を誇っています。


素材を育てる「竹の寒干し」

寒干しの最中の淡竹。すらりと細くまっすぐ伸びて、あまり枝がないものが茶筌向き。

寒風が吹く2月中旬。高山茶筌の製造を行う「翠華園」を訪ねました。迎えてくださったのは、茶筌師谷村弥三郎の名を受け継ぐ三代目であり、奈良県高山茶筌生産協同組合の理事長を務める谷村佳彦さん。「今がちょうど竹の寒干しの真っ最中なんですよ」。そう言われて軒先に目をやると、円錐状に束ねた竹が至る所に置いてあります。寒干しとは、毎年1月から2月に高山地方で見られる冬の風物詩。厳選した淡竹(はちく)を油抜きし、1か月半から2か月ほどかけて天日干しで乾かしていく、茶筌作りの重要な作業の一つです。こうすることで昼夜の気温差により淡竹が引き締まり、茶筌にふさわしい素材へと育っていくのだそう。

寒干し後は倉庫などで湿度と温度を管理しながら2年間寝かせ、加工するころに良質な竹だけを選別します。「竹は世界中に何百種類とありますが、中でも一番茶筌に向くのは淡竹。茶杓や花入れなどは真竹を使いますが、折れにくく粘り強いという淡竹の特長が茶筌に適しています」。とはいえ、どんな淡竹でも良いというわけではありません。

茶筌はある程度の手ごたえがないとお茶をうまく点てることができないことから、手に持ったときにしなやかなコシがあり、適度な重さがあるものが好まれます。「肥えた土地のものはすくすく成長し、軽くやわらかすぎて茶筌にはもの足りません。また斜面で育ったものは歪んでいるので使いづらい。最適なのは、平地かつ痩せ地で育ったまっすぐで細い淡竹。納得のいく素材に出合うのも一苦労なんですよ」。

手仕事ならでは美点と欠点

高山茶筌とひと口に言っても、その種類は約120にも及びます。茶道はまず流派によって使用する茶筌が分かれ、さらに薄茶用、濃茶用、また点前によっても使われる茶筌は変わってきます。それぞれ素材や形などに違いがありますが、現在主だったものは約80種類。そのすべてが職人たちの極めて繊細な手仕事から生まれています。茶筌作りに使う道具は小刀とやすりのみ。機械には一切頼りません。職人が鮮やかに指先を操り製作していくことから、指頭芸術とも称されています。

茶筌は8つの工程を経て1本が完成。どの工程も熟練の勘が必要とされ、一つ一つ丹念に作られています

茶筌はだいたいが原竹、片木(へぎ)、小割り、味削り、面取り、下編み、上編み、仕上げの工程を経て完成します。1つの技を習得するのに必要な歳月は2年と言われ、1人の職人が一人前になるまでには最低でも16年は修行を重ねなければなりません。「機械化はできないのかとよく聞かれるんですが、1mmに割った竹をさらに0.4mmと0.6mmに割っていく繊細な工程もあります。こんな仕事は人の手だからできること。機械では到底無理ですよ」。

中でも、職人が最も神経を使う特殊な技法が味削り。穂先部分をお湯につけてやわらかくした後、小刀を使い内側を穂先に向かって薄く削り、内側をしごいて流派ごとの形状へと整えていきます。この手加減一つでお茶の味が決まると言われ、この道35年の谷村さんでも、未だに自分が納得できる茶筌は作れたことがないそう。

「高山で一番キャリアのある職人さんでも、まだまだと言っておられます。完璧な茶筌を作るにはまず、この上なく良質な竹との出合いがなければ始まりません。それが1万本に1本かもしれない。たとえ運良くその1本に出合えたとしても、完成まで自分の納得のいく仕事がきちんと重ねられるかどうか。1工程でも失敗してしまうとそれまでです」。谷村さんの言葉に垣間見る職人技の奥深さ。茶筌と向き合う真摯な姿勢がなければ、美術品のような気品を湛える1本は生まれないのです。


高山茶筌の未来を揺るがすもの

茶筌の素材となる淡竹(写真下)、黒竹(写真中)、煤竹(写真上)。それぞれに独特の風合いを醸し出しています。

高山茶筌の原材料には、黒く光沢を放ち重厚感のある煤竹(すすだけ)が用いられることもあります。煤竹とは、藁葺き屋根の天井裏に建築材料として用いられていた竹が、何十年もの間いろりやかまどの煙でいぶされることにより、自然と風合いを増したもの。

築100年を超す茅葺き屋根の家を壊すときに、廃材として出たものを使用しますが、茅葺き屋根自体が年々少なくなっているため手に入りにくく、希少な素材となっています。また、最近は家屋を壊すときに重機を用いることが多く、せっかくの煤竹が潰れてしまい、使えなくなってしまうことも。そこで谷村さんは建築業者と契約し、家屋解体時に手作業で煤竹を屋根から下ろしてもらい、大事な素材を調達しています。

このように、一部の素材は確保することさえも容易ではなく、安定して商品を供給していくことが難しくなってきている昨今。国内市場に目を向けると、中国製などの輸入品が多く出回り、高山茶筌を脅かす存在になっています。「今の日本の市場では、1年間にだいたい100万本の茶筌が消費されています。そのうち輸入品の占める割合は7割ほど。後の約3割を高山で生産し、出荷していることになります。海外製は国内製に比べると品質は落ちるものの、1本あたりの価格が10分の1程度と安価。300円台から購入することができます。茶筌は消耗品なので、使い手に安くてもいいという風潮が広がると、高山茶筌は存続できません」。これまで守り抜いてきた高山の伝統が衰退しないよう、海外製品には原産地表示を義務付けるなど、国のバックアップを受けてさまざまな対策もなされています。

作業の分業化で見えてくること

竹を各流派や用途別に小刀で目的とする穂数に割っていきます。美術品のように美しい1本は手仕事の成せる技。

昔から変わらず、ほぼ家内工業で行われている高山茶筌の製造。今も夫婦二人三脚で行っているところがたくさんあります。谷村さんの幼いころは両親が昼夜逆転の生活を送り、朝の5時まで仕事をしていたそう。「茶筌作りは集中力を必要とします。昼間は来客があったり電話が鳴ったりして手を止めることも多いですが、夜中は誰からも邪魔をされることがなく、静かな中で作業に没頭できるんです」。

それでも、1日に製造できるのはせいぜい7~10本程度。「昔はお茶といえば一部の上流階級の楽しみだったので単価も高く、そこまで量を求めなくても生活していくのに困りませんでした。でも今は単価が下がり、生産性を上げないと厳しいのが現状です。また輸入品との差別化を図るためには、作り手が技術を高めていくこと、そして何より品質を安定させていくことが先決でしょう」。しかし、茶筌作りは全工程が手作業で行われるため、作業の効率化や品質の安定化を目指すのは簡単なことではありません。

そこで、谷村さんの工房では30人の職人を雇い、工程ごとに分業化。「8つの工程を8人に振り分けて1本を仕上げています。1人の職人が1つの工程だけを集中してやれば2年で技が習得できますし、分業化することで品質を安定させ、生産性のアップも見込めます」。大きな問題を解消できた反面、どこか1工程でも職人がいなくなってしまうと、茶筌を作ることができなくなるというリスクも。「うちの職人は最年長が80代、最年少は20代で幅広い世代がそろっています。将来のことを考えると、もうちょっと全体の層を若返らせていかないとね」。技術を未来へと渡していくためには、時代に沿った変化を厭わない柔軟性も大事だと谷村さんは言います。


年々深刻化する後継者不足問題

谷村さんの工房には、大きさや形状、素材の異なる種類の茶筌がいくつも並び、間近でみるとその繊細さに息を飲みます。

高山が抱えるもう1つの大きな問題が後継者不足です。戦前は長男だけに受け継がれてきた技術も戦後は少しオープンになり、次男や三男が跡を継いで仕事をしている工房も増えました。しかし後継者がいないところも多く、職人の高齢化が進むなかで10年後はさらに茶筌業者が減ると予想されています。

「実は私もサラリーマンをしていた時期がありました。両親の仕事ぶりを見て大変さは知っていたので、若いころは絶対に跡は継ぐもんかと思っていましたよ。それでも両親に切望されてこの世界へ入ることに。思い返せば私が職人になったころは茶道人口がピークで、茶筌作りの全盛期とも言える時代。経済的に不安はなかったし、寝る間も惜しんで作業をしていました」。今はお稽古の種類も多様化し、茶道を習う若い人たちは年々減少しています。「しかし私は、一般家庭で日常に茶筌が使われることを期待して次世代の後継者を育てています。それでも、息子に継いでもらいたいとはなかなか言い出せません。伝統工芸品を作るということは、腹をくくらないとできませんから」。

跡継ぎがいないというのは高山に限ったことではなく、京都や金沢など伝統工芸を受け継いでいる地域に共通した悩み。奈良県高山茶筌生産協同組合では後継者育成事業にも積極的に取り組んでいますが、学校教育を通し、幼いころからもっと日本の伝統工芸に触れる機会を持つことも必要なのかもしれません。

茶筌を支える海外からの追い風

日本食やアニメなど、海外では今にわかに"ジャパニーズカルチャー"がブーム。茶道への関心も高まっており、谷村さんの元にもフランス、オーストラリア、ノルウェー、ドイツなど、世界各国からの問い合わせが増えています。「結婚や仕事で海外へ移住した日本人が、移住した先で茶道の文化を広めたい、茶筌を売りたいと申し出てくださるんですよ。ここ2、3年はこのような流れが続いていて、非常にありがたいことだと思っています」。翠華園で行っている茶道体験教室や茶筌作り体験、茶筌の制作過程の見学にも外国人客が増加。海外からのニーズに少しずつ手ごたえを感じている谷村さんは、今こそ自国の文化を大事にする土台作りをしていかなければならないと語ります。

「茶筌を作る工程を見た人は口々に『3,000円台の売値は安い』と言ってくださいます。先日、関西国際空港で行われたあるイベントで茶筌を販売したところ、買ってくれたのは全員中国人。日本の茶筌は自国製品よりやっぱり品質が良いらしいです。日本人はいつの間にか合理性や値段だけで物の価値を図るようになってしまいましたが、物の背景をきちんと見て判断できる教育も必要なんじゃないかと思うんですよ」。 銘品は言葉を並べなくても伝わるもの。高山茶筌の凛とした佇まいがその真実を教えてくれています。

(2015年2月 取材・文 岸本 恭児)