カタシモワイナリー

日本のワイナリーといえば、山梨や長野を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、大阪にも日本が誇るワイナリーがあり、明治時代から培われてきたワインづくりの精神が受け継がれています。ぶどう栽培からこだわる大阪府柏原市のワイナリーを訪ねました。

カタシモワイナリー

創業 1914年
大阪府柏原市太平寺2-9-14 072-971-6334
http://www.kashiwara-wine.com/
大正3年創業の西日本最古のワイナリー。「日本人の味覚に合う上質なワインづくり」を原点に、100年以上にわたってぶどうの栽培とワインの製造を続けている。大阪府柏原市にある自社農園では、除草剤を使わない減農薬栽培に着手。農薬を一般的な使用量の3分の1以下に抑えて栽培したぶどうは、大阪府のエコ農産物にも認定されている。肥料にもぶどうの搾りかすや牛糞を使うなど、可能な限りの有機肥料にこだわり、2010年よりビオワイン(有機農法によるブドウで造られたワイン)の製造にもチャレンジ。代表の高井利洋さんは大阪ワイナリー協会を立ち上げ、日本のワインを守り発展させる活動にも力を注ぐ。

大阪に日本のワインの歴史を刻んで

最寄り駅からほど近いカタシモワイナリー。「これだけアクセスの良いワイナリーは世界中でもうちくらい」と高井さん。

この日降り立ったのは、大阪の繁華街・天王寺から電車で30分ほどの近鉄線安堂駅。静かな住宅街をのんびり10分くらい歩くと、カタシモワイナリーが見えてきます。こちらは西日本で最も長い歴史を持つワイナリー。創業100年を迎えた今も、先人の教えと伝統を守り、情熱をもってワインづくりに取り組んでいます。

訪れたころはちょうどぶどうの収穫シーズンと重なったこともあり、工場は1年で一番の繁忙期を迎えていました。摘み取ったぶどうは次から次へと機械にかけられ、甘酸っぱい香りが漂います。搾った果汁はタンクの中でひとまず発酵。その後木製の樽に移し、1年から1年半ほどかけて熟成させてからビン詰めをして、出荷の時を待ちます。

カタシモワイナリーでは、最後のラベル貼りまで手作業で行うのが昔からのスタイル。1本に込めた愛情の深さには、並々ならぬものがあります。販売すると即完売してしまう人気のスパークリングワイン「たこシャン」もこのようにして生まれ、多くのテーブルに華を添えています。

大阪を見下ろす絶景の自社農園

本社工場から歩いてすぐのぶどう畑。大阪とは思えない風景が辺り一面に広がっています。

「本社工場から徒歩で行ける場所に自社農園があるんですよ」と同ワイナリーの代表を務める高井利洋さん。案内されること5、6分。情緒ある古民家郡を横目に細い路地を抜けると、急に視界が開けました。

合名山(ごうめいやま)の斜面一帯に広がるのは1.5ヘクタールもあるぶどう畑。ここが大阪?本当に駅近くの住宅街?と疑ってしまうほど壮大な、自然が織りなす景色に心を奪われます。「花が咲くころは辺りに香りが広がって、絶好の散歩コースになるんですよ」と笑みがこぼれる高井さん。自社農園では現在18種類のぶどうを栽培。除草剤を使わない減農薬栽培に取り組み、可能な限り有機肥料を与えるなど、安心・安全面にも配慮しています。「これだけの土地とぶどうを管理するのは手間も資金もかかります。でもこの仕事はきっと自分にしかできないと思って毎日やっているんですよ」。

創業以来、ずっと大切に守り続けてきたぶどうの木は、雨風を乗り越えて今年もたわわに実をつけました。傷んだ粒を手でやさしく摘みながら、愛おしそうにぶどうを見つめる高井さん。畑に漂うふくよかな香りが、大阪産ワインの深い歴史を物語るようです。


ぶどうの産地日本一だった大阪

実りのシーズンを迎えた堅下甲州ぶどう。
陽の光を受けて粒が輝き、一目でみずみずしさがわかります。

かつて、大阪ではぶどう栽培がさかんに行われていました。そのきっかけとなった品種を、カタシモワイナリーの自社農園で見ることができます。

まるで藤の花を思わせるような淡い紫が神々しい堅下甲州ぶどう。小ぶりな粒を口の中に放り込むとぷちんと弾け、上品な甘さとさわやかな香りが広がります。ワインはただ飲んでおいしいというだけではなく、なぜその地域でぶどう栽培が始まり、ワインができるようになったのかというバックグラウンドを知ることが大事と高井さん。知識を深めると、1杯の味わいが増すと言います。

その昔、長雨や日照不足に弱いぶどうは、百姓たちにとって作りにくい作物でした。明治時代に堅下村の中野喜平氏によって効率的なぶどう栽培の方法が発見されると、百姓たちがこぞって作るようになり、大阪の産業として大きく発展。大正の終わりごろから昭和初期まで、大阪が山梨を抜いて日本一のぶどうの産地として栄えることとなります。

利洋さんの曽祖父にあたる高井利三郎氏は、明治初期にぶどう栽培に適した河内堅下村の土地を開墾し、大阪ぶどうの黄金期を築いた立役者。その後、カタシモワイナリー創業者で利洋さんの祖父の高井作次郎氏が、果樹園を営みながらワインの醸造方法を研究し、質の高いワインづくりを成功させました。以降、大阪ワインメーカーのパイオニアとして、カタシモワイナリーは第一線を走り続けています。

ワインブームの流れと国産ワインの現実

ずらりと並ぶ樽の中では、発酵を終えたぶどうの果汁が熟成中。おいしいワインへとゆっくり成長しています。

やがて時代は第二次世界大戦へ。ハイカラな飲み物として人気だったワインは、戦後庶民的な一升瓶に変えて販売されるようになりました。最盛期には119社にまで増えていた大阪のワインメーカーも次々と廃業へと追い込まれていき、長い低迷期に経営者たちは苦しみます。

そこに訪れた起死回生は、昭和53年の海外旅行ブームとともにやってきた第一次ワインブーム。更に、平成10年には情報番組の影響で健康に良いとワインが見直され第二次ブームが始まり、現在は右肩上がりで出荷数を増やしています。

しかし、こうしたブームの中にあって日本のワインに目を向けると、輸入ワインに押され気味なのが現状と高井さんは嘆きます。「輸入ワインは安いでしょ。だからどうしても輸入ものへとニーズが流れてしまうんです。今は1本750円未満のワインが日本での売り上げの90%を占めていると言われていて、その多くが輸入ワインなんですよ」。

現在の国内シェアの割合は、65%が輸入ワインで35%が国産ワイン。その35%の中には輸入ぶどうの果汁を発酵させたものが65%を占めています。日本の酒税法ではワインの原料に外国のものを使っていたとしても、国内醸造であれば国産ワインとうたうことに問題はありません。日本で育ったぶどうを使い国内で醸造している、本当の意味で日本のワインと呼べるものは一握り。これでは日本のぶどう栽培農家や日本のワインは衰退していくばかりです。

こうした流れに歯止めをかけ、日本のワインに対する国内外でのブランド力を高めていこうと、政府が品質を保証するワイン法制定に向けた動きも一部で進んでいます。


ぶどう畑存続のピンチが生んだもの

収穫時期を迎えるたわわに実ったぶどう。今にもこぼれ落ちそうです。

日本のワインに対して、高井さんも長年危機感を抱いてきました。このところの一番の問題は、大阪のぶどう畑がどんどん衰退していくことにあります。

「ぶどうの栽培は重労働。農家の高齢化が進み、畑を維持できなくなるところが増えてきて。私のところにはよく栽培依頼の電話がかかってきます。若い人たちは地域間競争が激しく、値が下がるなどの理由でぶどう栽培を嫌煙しがち。大阪には現在6社のワインメーカーがありますが、私たちは地域にぶどう畑があるからこそワインメーカーの存在意義があると思っています。だから今こそみんなで力を合わせて大阪のぶどう畑を残さないといけないと、必死に努力をしているんですよ」。

住宅地と隣接するように、ぶどう畑が広がります。

高井さんに栽培依頼の声がかかるほとんどがデラウェアを栽培する畑だそう。デラウェアは一般的に生食用として好まれるもので、ワインに向かない品種。カタシモワイナリーでは栽培していませんでした。「畑を預かったら、いったん木を切ってワイン用の品種に植え替えてという作業をしていました。でもそんな手間をかけていたら、商品になるまで7、8年はかかってしまいます。それならいっそのことデラウェアでおいしいワインを作ったほうが早いと思って。試行錯誤を重ねて誕生したのが、この"たこシャン"なんですよ」。当初はタコ焼きに合うワインというコンセプトで商品開発されたたこシャンでしたが、さわやかな香りとすっきり軽やかな口当たりは料理を選ばず、イタリアンやフレンチにはもちろん、和食ともマリアージュ。年間3万5,000本ほどの生産量では追いつかず、発売後約1週間で完売する大ヒット商品に。

デラウェアはワインのつくり手から見ると"くずぶどう"。そんなに売れるわけはないという高井さんの予想を大きく裏切り、大阪ワインの代名詞と言われるまでに成長しました。「今はうちの畑のぶどうだけでは足りなくなるくらい売れています」。うれしい悲鳴に、畑で実るデラウェアたちも誇らしげです。

デラウェアが広げる日本のワインの可能性

大阪産デラウェアを使用した大人気のたこシャン(右)と、新商品のNOUVEAU(左)。厳重な管理のもと高い品質が保たれています。

ここ数年、ワイン愛好家のなかでは日本のワインの質が上がってきていると評判だそう。これは高井さん自身も実感していることで、輸入ワインと日本のワインに差がなくなってきていると胸を張ります。そのうえで「私たちが作りたいのは日本的なワイン」と強調。ワインに適したぶどうの品種といえば、メルローやピノ・ノワール、シャルドネなどヨーロッパのものがトップに君臨し、その味がスタンダードという意識が消費者の中に根強くあると言います。「私はそれを覆したいと考えています。デラウェアで作ったワインがヨーロッパの人や日本の若い人たちにもおいしいと言ってもらえるよう努力していきたいですね」。

高井さんは昨今、たこシャンに継ぐものをと、デラウェアを使った新しいワインの商品化に意欲的です。今年市場に初お目見えする白ワイン「NOUVEAU」。こちらは華やかな香りが特徴のやや甘口なタイプ。たこシャンとは異なる趣きで、同じデラウェアから作られたものとは想像ができません。「ワインは化学。技術革新により、同じ品種から全く違う味のものを生み出せるようになりました。醸造技術を駆使することによって、デラウェアという素材が持ついろんな面を引き出すことができるようになったんです」。

また、デラウェアはヨーロッパ系などの品種に比べると病虫害や気候の変化に強く、栽培地を選ばないことも強み。農薬の使用量を一般の3分の1以下に抑えて育てることができるのもデラウェアならではと、高井さんはその秘めた可能性に大きな期待を寄せます。


大阪ワインの未来に向けた新たな試み

みんなを驚かせるようなおもしろいことをやって情報を発信していきたいと、斬新な企画も次々と発案。
大阪モノレールを貸し切って大阪ワインを飲み比べるワイン列車を走らせたり、百貨店で大阪ワインフェスを開催したり。休日返上であらゆるイベントにも参加するなど、PR活動に余念がありません。自社で行っているワイナリー見学も好評。ぶどう畑を訪ね、昔の醸造器具やワインづくりの様子を間近で見ることができる体験は貴重と、近隣の小学校では授業の一環として取り入れています。

明治から大正にかけて活躍した醸造器具。ワインづくりの歴史を語る貴重な資料として見学が可能です。
ワイナリー見学などイベント情報は、カタシモワイナリーのサイトをご覧ください。http://www.kashiwara-wine.com/

100年という歴史におごらず、これからはもっとスピーディーに大阪のワインやぶどうのすばらしさを広めていきたいと意気込む高井さん。そのためには、地の利を活かした観光に力を注いでいきたいと気を引き締めます。

「生食用ぶどうとワイン用ぶどうを一緒にした畑を作るのはどうかと構想中です。そこで日本のぶどう栽培の技術力を学びながらいろんなぶどうを試食できるようにしたりね。畑の下にレストランをオープンさせて、ワインやぶどうの説明を受けながらスペシャルな料理が堪能できるのもおもしろいんじゃないかなあ。今の時代に求められているのはエンターテインメント性。ワインの世界でも同じだと思うんです。うちのぶどう畑全体が自然のディズニーランドのようになれば最高ですね」。

目を輝かせて夢を語る高井さん。今、海外で人気が高まりつつある日本酒と同様に、大阪のワイナリーが生んだ日本のワインが世界で愛される日も、そう遠くないかもしれません。

(2014年10月 取材・文 岸本 恭児)