祝御遷宮 伊勢神宮(外宮編)

平成25年、62回目の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」を迎える伊勢神宮。
式年遷宮とは、20年に一度、御社殿の隣にある敷地に新宮をお建てし、神々にお遷りを願う神宮最大のお祭りです。このお祭りでは、御社殿の建替えをはじめ御装束や神宝もすべて新調され、神宮は常に新しく保たれます。 式年遷宮の年、持統天皇4年(690年)から1300年以上も続くこのお祭りの意味に思いを馳せながら、早春の神宮をお参りしました。
今回は、外宮、神宮神田、内宮の全3回にわたってご紹介します。

「外宮(げくう)さん」「豊受(とようけ)さん」と呼ばれ親しまれている「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)」は、三重県の伊勢市駅から徒歩5分ほどの位置にあります。御祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)。今から1500年ほど前、天照大御神(あまてらすおおみかみ)にお食事をたてまつる御饌都神(みけつかみ)として、丹波の国からこの地に迎えられ、御鎮座されたと伝えられています。食物と穀物を司る神様であり、衣食住、広くは産業の神様としても崇められています。

――日々、神々に奉仕をされている神宮の神職であり、神宮司庁広報室所属、神宮宮掌(くじょう)の尾崎友季様に外宮をご案内いただきながら、お話しを伺いました。

「神宮(じんぐう)」とは、「皇大神宮(こうたいじんぐう)=内宮(ないくう)」・「豊受大神宮(とようけだいじんぐう)=外宮(げくう)」の2つの正宮と14の「別宮(べつぐう)」、更に「摂社(せっしゃ)」、「末社(まっしゃ)」、「所管社(しょかんしゃ)」を合わせた125社の総称です。お祭りのほとんどは両正宮でそれぞれ同じように行われ、大きなお祭りでは御正宮や別宮だけでなく全てのお社で行なわれます。古くから「外宮先祭(げくうせんさい)」という言葉があり、恒例のお祭りは外宮から行われるのが常となっております。御参りにつきましても、外宮からの参拝が慣わしとなっておりまして、天皇陛下をはじめとする皇族の方々も、まず外宮から御参拝されます。

豊受大御神様が「食の神様」といわれておりますのは、「太神宮諸雑事記(だいじんぐうしょぞうじき)」という古い書物に、天照大御神様から「豊受大御神を食事を司る神として丹波の国の方から山田原の地にお迎えして、毎日のお食事を奉る御殿を作るように。」という御神託があったと記されており、それによって、豊受大御神様が御鎮座されてから1500年間絶えることなく「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」というお祭りが外宮にて行われているところにあります。このお祭りでは外宮にある御饌殿(みけでん)にて毎日朝夕の2回、天照大御神様、豊受大御神様をはじめ、両正宮の相殿神、全ての別宮の神々にお食事を捧げております。

神様に捧げる食物のことを神饌(しんせん)といい、ご飯、塩、水、お酒、野菜、鰹節、鯛、海草、果物などをお供えしております。神宮ではそのほとんどを自給しており、お米は神宮神田(じんぐうしんでん)で、また野菜や果物は神宮御園(じんぐうみその)という畑で、他に御神酒や御塩、素焼きの土器も専用の場所で作っております。

20年に1度行われます式年遷宮では、両正宮と別宮の御社殿と関連施設を建て替えるために、約1万3千本のヒノキが使われます。そのヒノキを供給する森は「御杣山(みそまやま)」と呼ばれ、鎌倉時代までは内宮の南側に広がる宮域林(きゅういきりん)※1 で賄われていました。その後、幾度かの変遷を経て、江戸時代からは木曽のヒノキを調達しておりました。しかし、大正の終わり頃から宮域林での植樹をはじめまして、それが実を結び始め、今回の遷宮で使用するヒノキの4分の1は宮域林から調達することができました。遷宮で宮域林から切り出したヒノキが御造営用材となるのは約700年ぶりのことになります。

※1 宮域林…神宮は御正宮を中心とする境内一帯の神域と、その他の宮域林に大別されます。更に宮域林は、神域の周囲が第一宮域林、御造営用材となるヒノキが育てられている第二宮域林からなります。


神宮では明治28年から参拝者数の統計を取り始めたのですが、平成22年に過去最高を記録し、1年間で外宮・内宮を合わせて880万人の方にお参りいただきました。前回の遷宮の年である平成5年、前々回の昭和48年は、いずれもその年の参拝者が約860万人を記録しており、今年の遷宮年にも多くの方がお越しくださるのではないかと思っております。

今はこうして多くの方が参宮できる時代となりましたが、昔は伊勢にお参りに来ることは大変なことでありました。江戸時代、神宮では上層階級の神職(しんしょく)※2 が宮川を渡って神領の外へ出ることを許されていなかった為、権禰宜(ごんねぎ)以下の神主が全国に赴き、神宮の神徳を宣揚し、武士や豪農の奉納寄進を取次いだり、参宮を進めたりしておりました。この神主を「御師(おんし)」と呼びました。その結果、民衆にも伊勢参りへの憧れが高まり、各地で「講(こう)」※3 と言うものが結成されます。御師や伊勢の人々は、地方から伊勢参りに来た人々を大変もてなしたこともあって、参宮から帰った人の話が地域に広がり、やがて爆発的な「おかげ参り」という大ブームを生みました。特に60年周期でブームが起こったことから、これを「おかげ年」と呼び、その年には数百万人の方がお参りされたと言われています。当時は女性や子どもが旅をすることなど考えられない時代だったのですが、抜け参りといって奉公の人などがこっそり抜けてお参りに行ったり、お伊勢さんに行くと言えば道中で施しを受け、関所も通ることができたそうです。お伊勢参りには柄杓(ひしゃく)を持って行くことが目印となっており、昔の錦絵などにもその様子が描かれています。

※2 神職…神に奉仕するため、祭儀を行なう者。現在神宮では、大宮司(だいぐうじ)、少宮司(しょうぐうじ)、禰宜(ねぎ)10名、権禰宜(ごんねぎ)20名、宮掌(くじょう)40名という職階を置き、他に技師、事務職員など合計600名を超える人々が日々の奉仕を行なっています。

※3 講…地域で参宮の費用を積み立て、選ばれた人が代参として参拝すること。伊勢講と呼ばれていました。

江戸時代、神宮へのお参りは皇室の御祖神であり、日本国民の総氏神であるお宮としての憧れと、一方では日本で一番の観光地的な側面もあったと思います。現代においても、多くの方々がそういった両面を持って参拝されておられるのではないでしょうか。神宮に来られて、鬱蒼とした森に足を踏み入れた時、普段の生活の中にはない何かを感じていただけるのではないかと思います。

別宮とは、正宮に次いで特別なお宮のことをいいます。外宮には4つの別宮があり、宮域内に3つ、宮域外には「月夜見宮(つきよみのみや)」があります。

多賀宮(たかのみや)
多賀宮は外宮の第一別宮であり、恒例のお祭りは正宮のあとに引き続いて行なわれ、天皇陛下が遣わされる勅使の方もこちらでご奉仕されます。また、大宮司・少宮司が奉仕するのも御正宮と第一別宮となります。 このお宮がなぜ「たかのみや」という名前かと申しますと、理由は高いところにあるお宮だからなのです。昔は高いという字を使っておりました。御社殿は98段の石段を登ったところにございます。豊受大御神様の荒御魂(あらみたま)をお祀りしておるのですが、これは活発で行動的な神格を表しております。

土宮(つちのみや)
土宮は、「大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)」という、土地の神様をお祀りしているお宮です。近くを流れる宮川の氾濫を防ぐ守護神としてここに御鎮座されています。こちらの御社殿の前を広くとってありますのは、外宮周辺の高倉山が昔は「御杣山(みそまやま)」に指定されておりましたので、この度の式年遷宮でもお祭りが行なわれ、その祭場となっております。

風宮(かぜのみや)
風宮は、「級長津彦命(しなつひこのみこと)」様と「級長戸辺命(しなとべのみこと)」様をお祀りしています。お米をはじめとする農作物が無事に育つように、天候の順調を司る神様です。また、鎌倉時代に元の大軍が攻めてきた時(蒙古襲来)、二度にわたって神風を吹かせ、国難を救ったのがこの神様と伝えられており、その功績を称えて別宮へと昇格されました。ですから、国難にあたってということで、先の東日本大震災の時にもこちらと、内宮の「風日祈宮(かざひのみのみや)」にお参りする方が多くみられました。日本を救ってほしいという願いを込めて参拝されたのだと思います。

土宮・風宮にお参りいただきますと、現在建っている御社殿の隣に用意された、同じような大きさの敷地がご覧いただけます。この敷地は、遷宮で新しい御社殿を建てるための新御敷地(しんみしきち)で、小さなお社のような覆屋(おおいや)が中央付近に置かれており、その上に新しい御社殿が建ちます。このように、20年に一度の建て替えを行なっていることが、間近でご覧いただけます。


上御井神社(かみのみいのじんじゃ)
下御井神社(しものみいのじんじゃ)

御正宮の西方の森の奥には「上御井神社」がございます。そちらは参拝出来ないのですが、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)をはじめ、外宮のお祭りで神様にお供えするお水を汲む井戸をお祀りしております。もう一つの「下御井神社」は土宮の奥にありまして、上御井神社のお水に何かあった場合は下御井神社のお水が用いられます。両神社は所管社というお社の一つで、お祭りを行なうにあたって重要なお役目をされているお社を所管社としてお祀りしております。

忌火屋殿(いみびやでん) 御饌殿(みけでん)
忌火屋殿では、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)やその他のお祭りでお供えするお食事を調理しております。「忌火(いみび)」とは「清浄な火」ということでございまして、調理する際は火鑚具(ひきりぐ)という道具で火をおこし、杉の古葉に点けてかまどの中に入れます。そして、できあがりましたお食事を御饌殿という建物にて神々にお供えいたします。御饌殿は、豊受大御神様が食を司る神様ということを表している、外宮にしかない御殿です。

毎日の日別朝夕大御饌祭では、5人の神主がご奉仕いたします。それぞれの大御神様にお供えをする「禰宜(ねぎ)」と別宮の神様にお供えをする「権禰宜(ごんねぎ)」、「御鑰(みかぎ:御殿の扉を開ける鍵)」を担当する「宮掌(くじょう)」、お供えものを担ぐ「出仕(しゅっし)」が2名、合わせて5名となります。出仕のうちの一人は朝からですが、祝詞(のりと)を奉上する禰宜をはじめ4人は、前夜から斎館(さいかん)という建物で参籠斎戒(さんろうさいかい:外に出ず身を清めること)し、祭典に奉仕します。

内宮・外宮をはじめとする125のお社は、それぞれに意味を持ち、ひとつのお祭りを行なうために集約されております。全てはその年の新穀を捧げる10月の神嘗祭(かんなめさい)、このお祭りに繋がっているのです。
伊勢神宮ウェブサイト http://www.isejingu.or.jp/

衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神として、私たちの生活の基盤を支えてくださる豊受大御神。 食事を通して健康でいられることへの感謝を捧げた後は、日々の食事も一段と有難く、おいしくいただけるような気がしました。
次回は、神宮で一番重要なお米を栽培している「神宮神田(じんぐうしんでん)」をご紹介します。

(2013年5月取材・文 島田優紀子)

*次回の「賢人の食と心」も是非ご期待ください。
神田編へつづく